3月の市民交流事業は、つながれっとシアター&交流会。映画『エリン・ブロコビッチ』の上映の後、参加された方々と交流会をおこない、映画の感想や意見交換をしました。当日は寒さ厳しい日でしたが、10名のご参加がありました。
この作品は、実在のアメリカ人女性エリン・ブロコビッチの活躍を描いたサクセス・ストーリーです。
彼女は2度の離婚歴があり、3人の子持ちのシングルマザー。無職で貯金残高16ドルという崖っぷちの状態から、法律事務所に職を得て、長期にわたる調査を重ねて大企業の環境汚染を暴き出し、集団訴訟に勝利するという大展開が描かれています。
この映画は130分と長めなのですが、毎日の家事・育児の大変さにめげずに、粘り強く現地に通い、タフな交渉を重ねるエリンを観ているうちに、ぐっと引き込まれていきました。自分のボスだけでなく、ほかの男性弁護士に対してもひるむことなく、自分の意見を主張して、一歩も引かない態度。弁護士事務所というお堅い職場にあっても、自分に似合うからと、露出度の高い服装を改めようとはしない、超マイペースなエリン。彼女の魅力は、その押しの強さだけではなくて、チャーミングな笑顔と人懐っこさ。健康被害に悩む一人ひとりの話に真剣に耳を傾けて、皆から厚い信頼を得る誠実さと言えるでしょう。
無学だ、無職だ、離婚歴があるなど、自分の境遇を一切恥じることなく、道を切り開いていくエリンの姿は観ていてとても爽快です。大事なことは、終わったことではなく、これからどうするか。自分を信じて進んでいくことだ、と励まされる思いがしました。
上映後の交流会には、ほとんどの方がご参加くださいました。紅茶をいただきながら、1つの輪になって映画の感想を分かち合います。法律事務所に押し掛けて自分を雇うように迫る、エリンの押しの強さや、何度も昇給を要求する姿に「さすが、自己主張の強いアメリカ!」と文化面からの感想。恋人ジョージが家事や育児を引き受けて、エリンの活躍を支えたところは、
「舞台が日本ならおそらく、NHKの『プロジェクトX』のように男性の活躍の陰にある内助の功、といったストーリーになるのでは」といった意見。そのほか文化の違いや、男女の性別役割にとらわれない生き方への清々しさなどが語られました。
そのほかマスメディアの与える影響など、話題は展開していき、30分間があっという間でした。
上映会では毎回感じることですが、やはり映画を観た同士でおしゃべりするひとときを持つのは楽しいものですね。お話を聴きながら、同感したり、自分にはなかった新たな視点を得たり。いろいろな観方を知ると、映画の味わいも深まる気がします。「男女共同参画の視点で映画をみる!」これからも、こうした機会が増えていくことを願っています。 (塚田 恵)
2014年2月21日(金)午後3時〜6時
2月の市民交流事業は、公益財団法人21世紀職業財団との共催で「働く女性の交流会」を開催しました。講演、パネルディスカッションのほか、参加者の交流会と盛りだくさんの内容。約90人の参加があり、3時間にわたるプログラムは大変盛況でした。
第1部は、「トップが語る」―女性の活躍推進に向けて!ダイレクトメッセージ―をテーマに、松浦信男さん(万協製薬株式会社代表取締役)と岩田喜美枝さん(公益財団法人21世紀職業財団会長)、お二人の対談で進められました。万協製薬は三重県多気郡にある社員数約120名の会社です。社員の男女比が五分五分。それだけでなく管理職数についても、男女比ほぼ五分五分であるという点に驚かされます。企業理念として「従業員の心物両面の向上」を挙げ、松浦さんは「社員が離職しないですむためのしくみ」を考え続けているそうです。それを具体化して、多様な工夫が制度化されています。3年間の育児休暇に加えて、子どもが小学生就学までの間は時短勤務が選択できること、男性の育休取得も多くあり、育休中の男性社員に育児体験を報告してもらう機会を設けるなど、大変ユニークです。それらの工夫の結果、出産・育児を理由に退職する女性社員は皆無になったそうです。中でも興味深いのは、社内に、年代が異なる社員数人で構成される疑似家族のようなグループを設け、気軽に相談できる工夫をしている点です。このようなきめ細かな配慮のほとんどは、専務として会社を支えながら、3人の子どもを育ててきたパートナー(妻)のアイディアだそうです。万協製薬のように、女性に対して選択肢を提供する企業がもっと評価を得るようになれば、そして、そのような企業が社会のスタンダードとなれば、きっと社会全体が大きな変化を遂げるはずです。
続いて第2部は、パネルディスカッション「活躍する女性たち」―次代の女性たちへ!応援メッセージーをテーマに、パネリストとして、東海東京証券株式会社執行役員の北川尚子さん、株式会社ジェイアール東海高島屋常務取締役営業本部長の宇都宮優子さん、岩田喜美枝さん(コーディネーター兼務)がご登壇されました。三人に共通するのは、「企業経営の主体となる執行役員の経験がある女性」という点です。
冒頭の自己紹介に続いて、役員という立場での経験、それまでの立場との違い、女性役員として会社に貢献した点などを中心にお話いただきました。共通したことは、ロールモデルとなる先輩の不在です。つまり、自分のキャリアプランにとって参考となるような、執行役員となった女性の先輩がほとんどおらず、将来が計画しづらい点でした。そのような経験をされた方々の「自分が後輩の女性にとって役に立ちたい」思いが印象に残りました。女性が執行役員であることのメリットとしては、「初めての女性の執行役員」ということで、メディアから取材を受ける機会が増える点、経済界などとのネットワークが拡がること、女性ならではの感性やコミュニケーション能力が活かせることが挙げられました。今後も女性の執行役員が活躍することで、新しく多様な企業活動が展開し、企業イメージ・価値はますます向上するでしょう。女性の執行役員の存在は、企業のメリットとなることは明白です。
第3部では、「ここから拡がるネットワーク」―中部発信!つながるわたしたち―参加者一人ひとりが主役となる交流会です。飲み物とフルーツケーキを手に、テーブルごとのグループで自己紹介の後、それぞれの経験や関心ごとなどを分かち合っていきます。参加された方々は、学生、育児をしながら働く世代、管理職として活躍される方、資格を活かして仕事をしている方、退職を控えた方など、年代も立場もさまざまです。また、働く場所もこれまでのキャリアも多様な女性たちが集まっていることから、名刺交換と交流の輪があちこちで広がっていきました。今日できたネットワークから、新たな活動が広がっていくことを強く願いました。
今回のプログラムは、女性社員の活躍が当然と考える松浦さんのお話や、女性の執行役員である方々の体験談など得るものが多く、加えて、参加者のネットワークづくりに対する熱意が強く伝わる機会となりました。身近なロールモデルに恵まれない方も、このプログラムで大いに励まされたのではないでしょうか。
女性の社会進出度が先進国で最下位の日本において、女性が活躍できる社会をつくるには多くの課題があります。さまざまな課題を乗り越え、社会を変えるためには、私たち一人ひとりの取組みが重要です。今日のプログラムがそのきっかけになるはず…そう確信しました。 (塚田 恵)
「男女共同参画落語創作・口演家」のとして、男女共同参に関するテーマを落語でわかりやすく、そして楽しく伝えている千金亭 値千金さん。
つながれっとNAGOYAで、今回で2回目となる「落語口演会&ワークショップ」が開催された。
千金亭 値千金さんは、もともと埼玉県鶴ヶ島市の職員。公民館に在職中は、自然環境、家庭教育、舞台芸能、地域福祉、まちづくりの講座から高齢者学級まで事業企画などを手がけてきた。さらに私生活で結婚(事実婚・別姓)したことで、男女共同参画への関心が高まったという異色の口演家だ。
この日は、落語の演芸場で流れる賑やかなお囃子とともに、参加者の方々が待つ、交流ラウンジに登場した。今回のお題は『めでぃあ・りてらしー』。
「男はこうあるべき」「女はこうでならなければならない」、あるは「男は指導的であるべき」「女は補助的で当たり前」というニュアンスの発言や映像が、いかにマスコミ等で頻繁に流されているか。しかもそれを視聴者である私たちは、自然と意識のなかに刷り込まれているか、その事実を楽しい笑い話で披露した。
メディアが描くのは、「ある男・女」であり、「あるべき男・女」ではないのであり、私たちにはそれを読み解く力が必要なのだと教えてくれる千金亭 値千金さん。
参加者の方々は、笑いながら、噺に引き込まれていくうちに私たちはいかにこうした無言の強制力に支配されて生きているかを知ることになった。
千金亭 値千金さんのねらいは、こうした事実を認識することの大切さと、本来、男性にも女性にも、すべての活動に共同に(=同等の立場で)参画する、あるいは計画に加わるチャンスと権利があることを伝えることだ。
その後、参加者の方々、二人一組になり、日ごろから自分自身が感じている苦しさ、つまり私たちが暮らしているこの社会が、いかに男女共同参画ができていないか、それを改善するにはどうすれば良いかなどを互いに語り合った。
また、千金亭 値千金さん、90年代の平松愛理のヒット曲「部屋とYシャツと私」を、「私と部屋とYシャツ」と改題して、替え歌で披露。作詞は、本名阪本真一さん。千金亭 値千金さんの本名だ。その内容を元歌と比べてみると…
?「お願いがあるのよ あなたの苗字になる私」→「例外があるのよ あなたの苗字にはならないわ」
?「最初に相談してね 私はあなたとなら どこでも大丈夫」→「最後に相談してね 私の行き先は 私が決めます」
などといった具合に、ユーモアに富んだ歌詞に変えて、熱唱。歌の上手さもさることながら、男女参画がすすんでいる社会での男女の在り様を鋭く描いていた。
会場を大いに沸かせた後で、満面の笑顔の参加者の方々からは、「このような楽しい企画をもっと行ってほしい」といった参加者の声が多かった。
「男女参画がすすんでいる社会では必要のない話」という千金亭 値千金さん言葉には、今の日本社会が抱えている大きな問題を感じさせてくれた。(中村 設子)
安定した市民サービスを受けるためにはどういう評価が必要か。あるいは自分たちが主体的に行っている活動(NPOの運営など)をする場合、より良い結果を生みだし、効果を継続的に波及させるために考えなければならないことは何なのか。
その参考になったのが、12月7日と8日にお二人の講師によって行われた「社会に活かす『評価の実践』」であった。
私自身、実はこの講義を受けるまで、「評価士」という専門家がいることを知らなかった。この資格を認定しているのは、2001年に発足した「日本評価士学会」だ。
自治体の事業や諸団体の活動などについて、評価を行うことで、世の中をより良く改善することを目指す専門家として、多くの地方自治体などで活用されている。
行政の要求と、市民がやっていきたい活動という、二つのベクトルを両立させ、ここに関わる人たちの欲求をすべて満たすのは難しいが、市民向けに、多くの市民が納得できるような評価を行うことの難しさもわかった。
まず効果は予測でしかないこと。限られた予算の中で、ある事業を実地したほうがよいとなった際、必要性の後に効率性、有効性の議論を段階的にやったほうがよいが良いという指摘は新鮮であった。
事業の必要性と有効性を行政にぶつけるのも大事であるが、公的機関からの業務委託で事業を行っている場合など、役所や公的機関が聞き入れてくれそうな要素を入れなければ、話が前に進んでいかない。
行政からの情報をきちんと取らなければならないこと、自分たちに情報ソースがない場合は、どのようにして必要な情報を集めるのかを十分に検討する必要がある。
いかに関心のある観点を盛り込んでいくか、やりたいことを100項目も盛り込む評価ではなく、評価によって市民の議論がわきあがる方向性に持っていくのが賢い方法なのだ。
何をどうやったらいいか、そうした視点を行政に提示することで、市民の意識はもちろん、市民の行動や行政の政策の方向性が変わっていく可能性があるのだ。
「数式で出てくる評価」ではないものを思考していくこと、つまり「こういう視点があったらよかったのではないか」というようなヒントがあれば、社会を動かせる可能性があるといえる。
これだけ多くの市民がいる限り、みんなが同じ価値観ではないのは当然だ。だからこそ、「自分たちはこういう価値観でやるのだ」ということを公言することが重要だといえる。
文章化する場合、このように価値観をいちばん先に示し(=欧米のように結論を先に 次に理由を書く)、どういう立場で評価をするのかというのを明確にすることである。
参加者のなかには、「三重県志摩市のクオリティのアップさせるために、観光について評価の視点を学びたい」、「学生時代に地方自治(公営交通)を学び、現在の自治体の政策に危機感を抱いている」、さらには「今、子育て中だが、これからの社会のあり方を考えたい」といった目的意識が高い方々が多く、講師を交えて活発な意見交換が行われた。
アカウンタビリティ=説明責任という言葉をよく耳にする昨今。特に民主党政権時代には、連日、マスコミで報道された事業仕分けの際に使われた。
だがよく考えてみると、評価という方法は、私たちの税金がどのように使われているのか、あるいは自分たちが現在行っている活動に、もしかして公的資金の援助が必要でないかと考えたときに、有効な判断基準や思考ツールとなりえるのではないかと思う。
◆中村設子◆
【朗 読】 伊藤静香 アサーティブ・サポーター
【ファシリテーター】 中村奈津子 ワールドカフェ・ファシリテーター
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自由にネットワークづくりができるカフェのような雰囲気の中で、オープンに互いの思いや知識を交換しあい、深め合う「ワールドカフェ」。今回は絵本『パパと怒り鬼』を手がかりにDVについて考える企画だ。
まず、伊藤静香さんによる朗読からはじまり、およそ40分間、参加者のみなさんは静かに耳を傾けた。この絵本はノルウェー文化省・協会省の「児童文学賞」受賞した作品。実話に基づいて創作されたもので、両親と暮らす少年ボイが主人公。父親がDVの加害者であり、常に夫の機嫌をとりながら暴力に怯える母親の姿や、幼い子の戸惑いや恐怖心がリアルに描かれている。絵本にこめられた作者の気持ちをいっしょになって感じ取った後、3〜4人のグループに別れ、中村奈津子さんがファシリテーターとなって「ワールドカフェ」へと進んだ。
第一ラウンドのテーマは「あなたは『パパと怒り鬼』のストリーにどんなことを考えたか」。テーブルの上に広げた白い模造紙に参加者のみなさんひとりひとりが自分の思いを書き、同じグループのメンバーに伝えた。
「少年ボイの恐怖を感じて、胸が痛んだ」
「母親が守りたいものは何?ボイなのか、それとも生活なのかがわからない」
「現在、大きな社会問題となっているDVの問題を、道徳的な言葉で伝えるのではなく、絵本でなら、自然にわかりやすく伝えられる」といった感想が目立った。
約20分間話し合ったあと、第二ラウンドへ。半分のメンバーが他のテーブルと入れ替わった。次のテーマは「『人は変われます。変わろうと思えば(=この絵本の帯に書かれている、女優・東ちづるさんのメッセージ)』にあなたは何を思いますか」。
「人が変わるためには、まず気づきが必要」
「自己肯定感をいかに保てるか。それがDVの被害者にならないためには絶対に大切なこと」
「DV被害者=ボイの母親の心理がわからない。どうして加害者の夫から逃げ出さないのだろうか」
「この本はDV問題を何とかしようという目的が強すぎて、子どもたちにはわかりづらいかも・・・」といった活発な意見が飛び交った。
今回は重いテーマを取り上げたが、DVをご自身が辛い体験として抱えてきた方や、早急に解決しなければならない社会的な問題として捉えている方、そして日ごろから子どもたちに絵本の読み聞かせを行っている方などが参加し、さまざまな立場から意見を交換することで、今の社会が取り組むべき問題点を整理するなど、有意義な話し合いの場となった。(中村設子)
<朗読した絵本について>
『パパと怒り鬼』 作/グロー・ダーレ、絵/スヴァイン・ニーフース
ひさかたチャイルド/2011年 全国学校図書館協議会選定図書、日本図書館協会選定図書
ノルウェー文化省・協会省「児童文学賞」受賞作品
平等はビジネス向上のカギ
女性エンパワーメント原則 WEPs(Women's Empowerment Principles)で、女性の活躍を推進!
■講師
・大西祥世(グローバル・コンパクト研究センター研究員、法政大学兼任講師)
■ゲスト
・加藤千恵(株式会社エステム:WEPs署名企業)
■日時:2013年10月11日(金) 講演会/14:30〜16:00 交流会/16:15〜17:15
■会場:名古屋市男女平等参画推進センター 交流ラウンジ
■後援:UN Women日本国内委員会、公益財団法人21世紀職業財団
講演会
★基調講演
講師の大西祥世さんは、WEPsの重要性をとらえつつWEPsが抱える課題に正面から取組んでこられました。また、2009年以降毎年3月に国連で開催されるWEPs年次会合に参加されており、WEPsと「女性の活躍」との関わりについて、世界全体そして国内の状況をふまえ多方面から語ってくださいました。
・WEPsとは?
国連では、職場、市場、地域におけるジェンダー平等と女性のエンパワーメントの一層の推進をめざして、国連グローバル・コンパクト(UNGC)事務所とジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関(UN Women)が、2010年に「女性のエンパワーメント原則(Women's Empowerment Principles:WEPs)を共同で作成しています。講演会では、このWEPsをキーワードに、「女性の活躍は、人権にもビジネスにもメリットがある」という視点で進められました。
人権保障と平等推進の担い手として、近年は政府だけでなく企業の役割が重視され、CSRに関する国際的・自主的な取組みが整備されています。こうした背景の下、2000年に国連グローバル・コンパクト(UNGC)が「GC10原則」を作成したことが出発点となり、WEPsの作成へとつながりました。
WEPsは、次の7原則で成り立っており、WEPsへは「企業が署名する」という形式で参加します。
(1)トップのリーダーシップによるジェンダー平等の促進
(2)機会の均等、インクルージョン、差別の撤廃
(3)健康、安全、暴力の撤廃
(4)教育と研修
(5)事業開発、サプライチェーン、マーケティング活動
(6)地域におけるリーダーシップと参画
(7)透明性、成果の測定、報告
<http://www.gender.go.jp/international/int_un_kaigi/int_weps/index.html>
2013年10月1日現在、608社のCEOが(うち、日本企業は203社)署名しています。
・WEPsの意義と効果
WEPsに署名することにより、?企業の取組みの「見える化」が可能となり、?雇用の適正化をもたらし、?女性の力を生かして業績アップへつなげるという好事例がみられるようになってきました。日本企業の取組みとしては、?トップのリーダーシップによる推進、?ワーク・ライフ・バランスの促進、?データの公表とポジティブ・アクションの運用、?NGOやスポーツチームへの支援といった特徴がみられます。一方、?トップは表明するが、なかなか実行につながらない、?男性の育児・介護休業取得の実態が明確でない、?女性のエンパワーメントと通じたビジネスの発展およびコミュニティへの貢献という視点がみられない、?PDCAサイクルの透明性、公開性が不十分といった課題もみられるとのことでした。
さて、女性のエンパワーメントの視点から平等を進めることは、企業にとってどのような影響をもたらすのでしょうか。企業の取組みの良いところを国際的な基準によって評価でき、これからの「伸びしろ」を見つけることができる、そして、サプライチェーン、地域、NGOといったステークホルダーと連携できることと、大西さんは明言されました。WEPsへの署名によって、企業が発展していくプロセスに注目が集まっています。
★ゲスト・トーク
ゲストとしてお迎えしたのは、株式会社エステムの加藤千恵さんです。加藤さんは、自社のWEPs署名経緯、影響と効果、今後の課題について語ってくださいました。
株式会社エステム URL http://www.stem.co.jp/company/profile.html
・署名への経緯と影響
名古屋市南区に本社がある株式会社エステムは、水処理施設の維持管理・設計・施工監理およびコンサルタント業務・環境測定に関する業務およびコンサルタント業務等を事業として行っている会社です。420名の従業員のうち、87名が女性(20%)です。代表取締役会長の鋤柄修氏は、中小企業家同友会全国協議会(中同協)会長を務め、「企業は社会の公器です。利益は手段であり、目的であってはなりません」(「同友Aichi」2011年12月1日号掲載:http://www.douyukai.net/50th/?page_id=348)と企業経営者としての姿勢を示される方です。
株式会社エステムでは、WEPsについて内閣府からの紹介を受け、WEPsという活動自体が企業活動に刺激になること、そして署名には費用がかからなかったことも動機の一つとなり、署名されたとのこと。現段階では、特に効果を感じていないとのことですが…。今後の課題は、明確に分析されていました。
まず、第一の課題は、女性の職域拡大とのこと。この課題は、業務の拡大につながる可能性があるとのことです。第二の課題は、従業員の意識改革。無意識に慣例にしばられ、性別役割分担の意識をもってしまっていることに対して、10年から20年先をみて考え行動する意識を醸成することが重要…と語ってくださいました。
交流会
ゲストの加藤さんのお話を受け、株式会社エステムの事例へ大西さんからのコメントでスタートしました。大西さんは、株式会社エステムにおけるWEPsの取組みへ、次のような示唆をくださいました。
?企業文化として根付いている。
?男女関係なく配置している。
?インクルージョンが進んでいる。
?企業の展望が考えられている。
?新しいビジネスへ取り組もうとしている。
?企業文化を変える兆しがある。
その後、参加者お一人おひとりからのコメントも続き、WEPsをキーワードにして「人権、平等」と「女性の活躍推進」の接点を見つめる時間を過ごすことができました。
とはいえ、WEPsの取組みは、日本国内、そして、中部地域においても、まだまだ伝わりきれていない状況です。企業の発展が企業を構成する従業員一人ひとりの発展へとつながるWEPs!平等はビジネス向上のカギ―まず第一歩は、WEPsへの署名からはじまる…と確信しました。 ■渋谷典子■
]]>講演会
★第一部:日高橘子さんからのメッセージ
東日本大震災で被災した陸前高田市に一年間、名古屋市から長期派遣職員(保健師)として派遣された日高橘子さんが、一日一日の体験を振り返り、「女性の視点」でとらえる支援と復興のあり方を語りました。
8月の市民交流事業は、つながれっとシアター『森の中の淑女たち』の映画上映と交流会をおこないました。本編上映の後には、今年1月の渋谷アップリンクの上映会での、上野千鶴子さんのシアタートークも合わせて映像でご紹介しました。当日は昨夜からの大雨。あいにくのお天気でしたが、約90名のご参加がありました。
この作品は、1990年にシンシア・スコットが51歳で初めて監督として製作したものです。舞台はカナダ、ケベックの森。ストーリーは、8人の女性がバスの故障により、森のなかで足止めを食うところから始まります。人里離れた森を歩き出す姿には悲壮感はなく、平均76歳の淑女たちは、上野千鶴子さんの言葉を借りると3泊4日の「女子会サマーキャンプ」を楽しそうに過ごすのです。驚いたことに、20代のバス運転手を除いて7人は演技経験がない女性ばかり。監督は、大まかなシナリオだけで、細部を決めずに映画製作をしたそうです。映画ではそれぞれが本名を用いていて、自分の人生をお互いに語り合います。
息子をなくした悲しみ、病気のあとの不安など、誰の身にも起こりそうな経験が語られる一方で、修道女としての人生や、60代でレズビアンをカムアウトしたこと、といったそれぞれの特別な経験も、静かな口調で明らかにされていきます。映画のストーリー自体に大きな展開はなく、穏やかで坦々とした調子なのですが、一人ひとりの語りに耳を傾けていくうちにぐっと引き込まれていきます。語りの合間には、あどけない子ども時代から中年の頃までの個々人のポートレートが数枚、無音で映し出されます。その静かな間(ま)は、女性の人生の一つひとつの重みを象徴しているようでした。
休憩後、上野千鶴子さんのシアタートークの上映が始まりました。登場人物の誰に一番共感するか、自分はどんな年寄りになりそうか、といった問いかけ、男性ばかりのグループならどう展開するだろうか、男女混合ならどうかなどと、自分にはなかった多様な視点を提示され、イメージが膨らみます。また、観る側が何歳の時に観るかで、印象や感想が変わる可能性を含んだ映画だろうという言葉にもうなずけます。10年後、20年後の自分がどう感じるか。それを確かめるのも今後の楽しみにできて、どの年代の方にも何度でも楽しめる映画です。
交流会には30名を超える方々がご参加くださいました。いくつかのグループに分かれて、映画の感想のシェアリングをしていただきました。簡単な自己紹介を交えながら、自分だったらどうするか、というテーマや、もっとハプニングがあるかと思ったという声など、多様な観点からのお話が活発にされて、30分間の時間が短く感じられました。
毎回思うのですが、1つの映画について語りあうことで、こんな楽しいひとときが作り上げられるとは素晴らしいことですね。初めて会った方々による、文字通り「一期一会」の機会という貴重さ。見ず知らずの人たちと短くても価値ある時間を分かち合うのは、今回の映画のテーマとも重なります。これこそ、映画による「市民交流」だなあとしみじみ感じました。これからもシネマ&トークでお待ちしております。(塚田 恵)
7月14日(日)に、ブックトーク『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』を開催しました。講師の田中弥生さんは著者であり、独立行政法人大学評価・学位授与機構教授のほか、日本NPO学会会長、エクセレントNPOをめざそう市民会議理事など、非営利組織論、評価論をご専門としていらっしゃいます。田中さんとドラッカーとは、田中さんが1993年に初めてのドラッカー来日講演を実現して以来、11年にわたる深い交流がありました(ドラッカーは2005年に死去)。今回の講演会では、ドラッカーの生い立ちと経験から生まれた思想の原点と彼が描いた理想の社会像について、そこから非営利組織に期待した役割と現代の日本へのメッセージなどを、交流のエピソードを交えて具体的にお話しくださいました。
ドラッカーの名前は『もしドラ』(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』2009年ダイヤモンド社)が2010年にミリオンセラーになって以来、マネジメント論などに関心のない層にも広がりました。ところが、多数発行されているドラッカーの思想を語る書籍(やDVDなどもあるそうです)には誤解や偏りのある内容のものが多く、田中さんはドラッカーの思想が正しく伝えられていないことに危惧を抱かれていたそうです。加えて現在の日本社会のありようが、ドラッカーが警鐘を鳴らした状況と似ていると感じられ、それが、今回の著書を書く動機になったというお話でした。
ドラッカーの思想を端的に表わせば、彼が理想に描いたのは「一人ひとりが位置と役割をもつ自由社会」。田中さんの著書には、その考えに至るまでのドラッカーの体験が克明に記されています。ユダヤ系の、教養あふれる家庭で育ったドラッカーは、ドイツでヒトラーが政権を掌握した時代を体験しました。そのナチスの批判的分析から、人類が再び専制に陥らないための叡智を模索し、社会の統治論としてこの結論にたどり着いたということでした。人間が不完全なものであるからこそ、その理想を掲げ、権威的なものに終生、批判的であったというドラッカーに、わたしは人間としての大きさと魅力を感じました。田中さんに伺ったエピソードもその人柄を感じさせるものばかりで、わたしも生前にお会いしてみたかったなぁと、心から残念に思ったほどです。
その後、「一人ひとりが位置と役割をもつ自由社会」の実現のため、企業にその場を提供するコミュニティの役割を期待したドラッカーが生み出したのが、彼を世界的に有名にした組織マネジメント論です。決して企業が利益を上げ、人を効率よく働かせるためのノウハウ論ではないことが分かります。世の中のドラッカーの取り上げられ方を見るに、やはりこのあたりはずいぶんと誤解されているのではないでしょうか。その後ドラッカーは1980年代に、企業には経済的役割とコミュニティの役割の両方を望めないことに思い至り、新たなコミュニティの役割を非営利組織に託します。「非営利組織は、“社会変革(活動を通じた社会的課題の解決)”と“市民性創造(寄付、ボランティアを通じた社会参加)”の2つの役割を果たさなくては、コミュニティにはなりえない」というところ、いくつかのNPOで活動をしているわたし自身に深く響く言葉でした。また、ドラッカーが何より嫌ったのは、組織をつくる個人の「無関心の罪」。ここでは伝えきれないので詳細はぜひ『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』から直接受け取っていただきたいと思いますが、今の社会の状況を見渡してみると、示唆に富んだメッセージばかりでした。
さて、この日は田中さんの講演会だけでなく、その後、希望者のみで交流会も開催しました。15名でテーブルを囲み、とても贅沢な時間を過ごすことができました。皆さんそれぞれ実践とご経験からの発言をくださり、田中さんがそれを受けて率直なご意見を返され、1時間があっという間でした。「男女共同参画」の課題にも触れていただき、わたし自身、たくさんの考えるべき宿題をいただいた気持ちです。重ねて、このイベントの趣旨に賛同くださりご足労いただいた田中さん、参加者の皆さまにはお礼を申し上げます。
6月の市民交流事業は、講演会「性暴力被害について考える」を開催し、東京からNPO法人サポートハウスじょむのカウンセラー?山直子さんをお迎えして、お話をうかがいました。?山さんは、性暴力を受けた相談者の支援に長年関わっていらっしゃいます。性暴力被害には、強かん被害だけではなく、セクシュアル・ハラスメント(以下セクハラ)やちかん被害、性的なからかいなども含まれ、ほとんどの女性が何らかの嫌な思いをした経験があるのではないでしょうか。当日は、支援に関わっている方も含めて30名近くの参加者がありました。
講演は、性暴力被害について大変丁寧に解説いただくものでした。なかでも支援をする上で常識とされることを問い直す点がいくつもあり、支援全般に対する理解をより深める内容でした。最初に、数例の事例が短く紹介され、その事例が性被害だと判断できるか、被害者にも責任があると感じるかなど、私たちの判断、感じ方を確認しました。女性ばかりの参加者でも、感じ方は分かれました。ここで?山さんは、「“いずれも性被害と判断する”が正答」としてその話題を終えるのではなく、個人の感じ方や価値観には違いがあること、さらに、個人の価値観の多様性と、誰かが被害にあって傷ついた事実とは別であるという点を強調されました。第三者が「これは性暴力にはあたらない」と判断したとしても、被害者の思いやその体験によって傷ついた事実を否定することはできません。「被害者の周りにいる人は裁判官ではありません。正しいか正しくないかをジャッジする役割ではないのです」と?山さんは話されました。
また、性被害を回避するための対処も、一概にどれが有効だとは言い切れないとのことでした。例えばセクハラにあわないための対処として、相手に「ノー」を言うことの重要性はよく聞きます。しかし、ノーをいうことのハードルの高さや、はっきり拒否することがかえって危険になる場合もあるなど、ノーをいうことに伴うリスクもあり、あくまでケースバイケースであることや、性暴力の場面で被害者は、大きな恐怖心のなか、?その被害を超えてサバイブするか、?自分らしく生きるか、の究極の選択をしているということ、さらにその選択には必ず理由があり、だから、その判断や選択は、当事者本人がしたのであればどちらを選んでも良いという点などが心に残りました。
続いて、「支援者に求められることとして“共感が大切”と言われるけれど、果たして共感ってできるのか」と?山さんは問われました。「被害にあった本人と同じように感じるのは難しい。けれど、本人が傷ついた事実は疑う余地がない。カウンセラーに求められることは同情でもなければ、救済でもない。ただ必要なのは、話を聴く、質問する、さらに話を聴く、質問するの繰り返しを通じての理解」「共感とは、相手の立場に立って理解することである」と聞いて、支援の本質が一層クリアになった印象を持ちました。
?山さんは過去にストーキング被害の経験があり、そのことも交えて、何が被害にあった本人の力を奪うか、反対に何が本人をエンパワメントし、回復に役立つかについても話されました。講演を聴いて、支援とは、常に当事者の側に立つ姿勢が貫かれていることであり、そのうえで当事者の心情に寄り添おうとする、丁寧かつ繊細な心遣いが不可欠であると感じました。
性暴力被害というと、重苦しいイメージがあり、誰もができれば考えたくない気持ちになります。これは考えないことで存在しないものにしたいという心の動きかと思います。しかし、東日本大震災の被災地では、震災以後、レイプなど性暴力やDV被害が増加しています。震災の被害に加えて、女性が暴力のターゲットにされている事実には、本当に心が痛みます。震災を機に、改めて性暴力被害がいつ自分に起きるかわからない、他人事にはできないと強く感じました。今後もさらに多くの方に参加していただき、一緒に考えていきたいテーマであると思いました。長時間にわたる講演にも関わらず、出席された皆さんが最後まで熱心に聴いておられたのが心に残りました。 (塚田恵)
5月26日(日)13:30〜16:30@名古屋市男女平等参画推進センター
NPOのチカラ2013―それは「女縁」から、はじまった!
1998年にNPO法が施行される以前から、女性たちは血縁、地縁、社縁を超えた「女縁」でつながってきました。この縁を女性たちがどのように自分の人生に取り入れ、活用してきたのか。そして、今後どのような未来を描いていくのか。今回のシンポジウムでは、まず3人の精鋭活動家による講演(セッション1〜3)からはじまりました。以下に、お話の要点と、最後に行われたディスカッションの成果(セッション4)をまとめます。
■セッション1:それは「女縁」から、はじまった!
発表者は上野千鶴子さん。「女縁」研究者であり、「女性をつなぐ総合情報サイト」を運営している認定NPO法人ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」の理事長です。
「女縁」とは、血縁、社縁、地縁を超えたところでつながっている女性たちのネットワークをいいます。女性が自分の意志で、選択し、助け合っていくためのつながりであり、加入、脱退が自由で強制力がなく、まるごとのプライバシーを要求しない選択縁。男よりも女の世界で先行しているため、「女縁」と名づけました。
これまでの私たちの調査から「女縁」のキーパーソンは、主に転勤族の妻であることがわかっています。夫の仕事の都合でその土地に住まなければならなくなった女性です。受動デラシネ族(夫の都合で根なし草になったため)とも呼びます。
経済的なゆとりと時間のゆとりがあるだけでなく、ひととひとのつながりを作り出すチカラがあります。お互いを助けながらエンジョイし、出歩くのが好きです(笑)。○○さんの奥さん、お母さんで呼ばれるのではなく、個人の名前で呼ばれるのを好みます。
自宅の近くに、親戚縁者もいない彼女たちは「女縁」で助け合いをし、忙しい人ほどたくさんのグループに参加しています。つまり、多様な顔を持ちながら、さまざまな縁をつくり出しているんです。男たちも学んでほしいですね。1998年のNPO法、介護保険法制定が、こうした「女縁」活動が収入を生む事業になる後押しとなったといえます。
日本の社会では、結婚や妊娠でいったん仕事をやめてしまうと、ほとんどの企業では正規の社員として採用してもらえないという現実があります。非営利のNPOは自分たちの目の前のニーズから出発する点が、営利を目的とする企業と決定的に違います。行政に依存しない=自主独立の女性たちの力が地域を変え、社会を変えてきました。
■セッション2:NPOを支える社会の変化は?
発表者は石井布紀子さん。NPOマネジメント支援者であり、NPO法人さくらネット代表理事でもあります。
1992年に「すくーるすばる」を開設・起業し、社会の隙間のサービスをはじめました。その後、1995年に発生した阪神淡路大震災がきっかけとなり、NPO活動、被災者支援活動に関わるようになりました。当時、私は28歳で、今年で18年目になります。
1998年には特定非営利活動促進法が、2000年に介護保険法が施行されました。私としては、2000年に「(有)コラボねっと」を設立、社会人として仕事をするようになってから、ちょうど10年目のことでした。その後、支援の仕組みづくりや人材育成の仕事を続けています。社会では、NPOセンター(NPOに関する中間支援組織および応援組織)などにおける「公共」に関する協議が本格化したものの、正直なところ、「官」に振り回される状況が続きました。
さらに時は流れ、2008年には、防災や被災地支援の活動の部分について、NPO化が不可欠となり、NPO法人「さくらネット」を組織化しました。災害時でも平常時でも、生命と暮らしを守り、個人がイキイキと暮らせる社会をつくるためには、?官民協働による仕組みづくり″と、?市民主体の運動展開″が両輪で進むことが不可欠だと感じています。私個人としては、専門性向上のための社会的な試みを増やすこと、「女縁」の情報ネットワークをさらに推進し、脱男性社会のマネジメントを推し進めることが重要だと思っています。
今、NPOマネジメントにおいて問題なのは行政制度の枠組みの中でしか、NPOが食べていけるだけの組織になりにくいことだと思います。
■セッション3:「女縁」NPOの可能性は?
発表者は渋谷典子さん。NPO活動実践者、NPO法人参画プラネット代表理事です。
現在、NPO法人参画プラネット代表理事のほかに、認定NPO法人ウイメンズアクションネットワーク(WAN)副理事長、認定NPO法人UN Women日本国内委員会理事、NPO法人手しごと屋理事、公益財団法人21世紀職業財団愛知県駐在代表などをしていますが、どれもが「女縁」からスタートした活動です。
上野さんが最初に「女縁」について書かれた書『「女縁」が世の中を変える』は、図書館から借りてきて読み、共感してコピーをとって今も保管しています。今日のテーマに関係する『「女縁」を生きた女たち』は、2008年に上野さんが郵送してくださった本です。
20年間続けている活動は、「女縁」が基礎となって動いています。時間資源、貨幣資源、わたくし源が必要!と、上野さんは『「女縁」を生きた女たち』で書かれています。その発展系―仕事の保障、時間の保障、人格の保障で、現在、わたしたち参画プラネットの活動は動いています。
今日は、仕事、資金、人材の可能性について考えてみました。介護保険制度、国や自治体からの受託事業、指定管理者事業など「公」がNPOという存在を活用して政策を実現するといった手法―これを「公」からのコミットとして位置づけると、「私」からのコミットとしては、ボランティアや寄付があげられると思います。仕事も資金も人材も、「公」と「私」のコミットを生かしつつ、NPOの運営を続けていくこと。そのためには、バランス感覚が重要…そう思っています。
20年間を振り返ると、<気がつけば「女縁」だった><「女縁」で思わぬ展開が…>これが本音です。とはいえ、「女縁」には法則があると気づきました。一つめは双方向の信頼関係…依存関係ではありません。二つめは「ナマモノ、いきもの」であること…常日頃のメンテナンスが必要です。さらに「プラットフォーム」…「女縁」で出会い活動できる場があること。この三つです。
「女縁」NPOの可能性が拡がるプラットフォームとして、ウイメンズアクションネットワーク(WAN)の活動へ。いま、転換期にきている活動をとおして「女縁」NPOの可能性を追求しつづけます。
■セッション4:10年+(プラス)プロジェクト!始動。
「女縁」NPOの可能性を探る事例として「女性をつなぐ総合情報サイト・ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」の活動が紹介され、参加者の方々の質問に、壇上の上野さん、石井さん、渋谷さんの3人が応えるスタイルで活発なディスカッションが進みました。
上野さんは「昨年、NPO法が改正され、以前より早く認定が取れるようになり、WANも認定NPO法人になりました。ですが、現実問題として、最初に解決しなければならないのは資金の問題です。WANの場合、関わっている方々の活動は無償で行われています。年間600万円かかっている費用のすべては、会員による会費と寄付によってまかなわれています。活動を担うボランティアと会費を払ってくださる会員とは、消費者と株主のようなもの。活動と運動が両輪となってWANがあります。裾野を増やし、わずかなお金でもいいから、寄付もほしい」と語りました。
渋谷さんからは「資金もほしいが、ボランティアの方々の参加もお待ちしています」との声があがり、さまざまなひとたちから多様な価値観を学ぶことも、NPOの運営においてプラスに作用していることがわかりました。
上野さんがNPO界の?カリスマ″と高く評価する石井さんは「共感の意志決定が不可欠。プロセスを大切に。資金、ボランティア、知恵、もの、情報、すべてが必要です」と語りました。NPO組織のマネジメントを通じて、法律をどう変えていくのか。社会をよくする“世直し”の仕事を拡げるには、資金とボランティア、それぞれの責任を循環させることができる組織、NPOを活用するしかないのが現状であることを伝えました。
参加者のなかには、仕事が忙しいため、自分の時間を使うことはできないが、NPOに寄付をすることで支援している方もいました。いろいろなカタチ、つまりお金、モノ、活動と方法は異なっても、参加者がそれぞれの立場で、どのようにNPOと関わっているのか、その発言から伝わってきました。
NPOにとって法人格が社会的に必要である理由の一つに、法人でない場合には契約関係を持つことが難しいという現実があります。上野さんの言葉をかりれば、まだ日本は「NPOという道具を使いまわして試行錯誤している段階」かもしれません。いま、直面している課題をどのように解決し、これからの活動を展開するのか。
次の10年に向けて…「女縁」NPO !Take Offのとき。
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5月の市民交流事業は、中部ダイバーシティNetとの共催で、講演会&ワールドカフェ「女性の“働く”を考える。」を開催しました。20-60代の女性を中心に、約100人の参加がありました。
第1部基調講演の講師は、NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長の上野千鶴子さん。テーマは「女たちのサバイバル作戦」です。
講演では、日本女性の地位指標の国際比較、雇用の変革、女性間の格差拡大など、主に1980年代以降現在までの状況を、たくさんのグラフとともに解説されました。
1985年の労働者派遣業法によって、民間企業に人材派遣業を許可したことから、日本の雇用体系が徐々に破壊されてきたこと。女性と若者は置き換え可能な“使い捨て労働力”との位置づけを強化され、現在では若者の新規労働者の半分は非正規雇用であるという状態にまで至ってしまったこと。当然、女性や若者の生活基盤がさらに不安定になり、貧困問題を生み出していることまでがクリアに提示され、誰もが社会的弱者になり得る現実が重く迫ってきます。
このような希望が持ちづらい社会を生き延びる戦略の1つとして、単一の収入源に限らない、ダブル、トリプル、そしてマルチプル・インカムで暮らす“一人ダイバーシティ(多様性)”が提案されました。これは、さまざまな仕事をして得られた少額の収入を持ち寄って暮らすというスタイルです。
続いての第2部は、ワールドカフェという語り合いの手法を用いてのグループディスカッションです。ワールドカフェは、少人数のグループに分かれて、まるでカフェに集うようにオープンでリラックスした雰囲気の中で行われます。初対面の参加者同士でも自由にアイディアや意見が共有されて、交流とネットワーク作りが進むことを目的としたものです。
今回は、8名ずつのグループに分かれ、30分の枠組みで1つのテーマにそって話し合いをします。心に残ったこと、ひらめいたアイディア、イラストなどを、テーブルに用意された模造紙に、自由に書いていきます。テーマは「働く私のモヤモヤトーク〜上野さんのお話を聞いて」。基調講演からそれぞれ感じたこと、考えなど自己紹介を交えながら共有し合います。30分が終了したところで、グループメンバーのうち1人を残して、それぞれ新しいグループに分かれて、また話し合いを開始するというやり方で、第2ラウンドまでおこない、最後に共有タイムを持ちました。
各テーブルでは、まだ育休がなかった頃に両親のサポートを得ながら子育てしたことを振り返る方や、現在子育て中で、会社で忙しい一日を過ごした後の子どもへの接し方に悩む声、子育てをサポートする制度の整備の不十分さへの怒りなど、さまざまな体験、感想、意見などが出され、グループでの熱心な話し合いが展開されていきます。
第2ラウンドでは、「明日から私のサバイバル作戦」をテーマに、今後どのような対策、工夫ができるかを話し合いました。メンバーの体験談を聞いて自分の将来に生かそうとする学生の方や、「夫は主たる家計を負担すべき」という考えを見直したいという男性からの意見など、活発なやりとりが見られました。
共有タイムでは、各グループからのまとめを短く発表して、全体で分かち合いをします。職場だけではなく活動を広げて居場所作りをするという意見、職場で考えや希望を口に出してみることを挙げた方。お互いの価値観を認め合い、助け合うこと、共感力を高めるといった作戦が披露されました。
第3部では、「生き延びるための実践へ」と題して上野さんからワールドカフェ全体を通してのまとめが話されました。共有タイムで発表されたアイディアを受け、今後のサバイバル戦略として上野さんは、ワールドカフェの参加者からの報告から生まれた言葉―“マルチハピネス”―つまり自分を幸せにする源を仕事や育児だけに限定せずに、あれこれと広げて多様化する大切さを挙げられました。さらに、サバイバルとコミュニケーションの関係性についても話されました。声に出して体験や思いを伝え合うこと。共感し違いを認め合うことから助け合いが生まれるのだと。
「女性と仕事」はこれまでも多くの女性が悩み、工夫を重ねて取り組んできたテーマです。雇用の不安定さがさらに進んだ状況でのこの講座は、さまざま視点や考えが得られた、刺激的で貴重な機会でした。才能があり機会に恵まれて“困ってない”女性はごく一部。そんな人だって、一生困らない保証はない時代。人口が減少し、経済発展に頼れない社会はもうすぐそこまでやってきています。フレキシブルな生き方のほうがおそらく有効となる時代は、多様性になれた女性は生きやすいのではないでしょうか。一方で、20代の女性の専業主婦願望がますます高まっていると聞き、若い女性こそ今から考えてもらいたいテーマでした。私にとってのマルチプル・ハピネスとは何か。今後も考え続けていきたいです。 (塚田 恵)
男女雇用機会均等法第11条では、「職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置」としてセクシュアル・ハラスメントに対する法的措置が掲げられていますが、日々、女性たちが過ごしている就業の場では依然としてセクシュアル・ハラスメントの被害は継続しています。あわせて、未だ可視化されていないマタニティ・ハラスメント及び女性であるという理由でのパワー・ハラスメント等が多数存在している現状もあります。
こうした状況から、就業の場における女性の活躍推進において、ハラスメント対策は欠かせないものであるにも関わらず、現状では被害当事者の救済にとどまり、組織的及び社会的にそれを根絶するアプローチが明確化していないことが課題となっています。
シンポジウムでは、浅倉むつ子さんの基調講演、その後のパネル・ディスカッションでは、浅倉むつ子さん、大脇雅子さん、和田肇さんがパネリストを務め、就業の場における女性への暴力の実態を把握するとともに、女性が働き続けるための環境整備と暴力を根絶するための方策等について、参加者とともに考える機会を持つことができました。
■基調講演
浅倉さんは「女性に対する暴力とは」について整理され、根絶に向けて国連をはじめ世界全体で取組んでいる状況を伝えました。その後、日本の取組みとして、事業主のセクシュアル・ハラスメント防止措置義務が定められた均等法について触れ、法が定まった後でも、未だに増大する一方のセクシュアル・ハラスメントの実態について明らかにしました。
次に、その他のハラスメントとして、?アカデミック・ハラスメント、?ジェンダー・ハラスメント、?マタニティ・ハラスメント、?パワー・ハラスメント(パワハラ)をあげられました。今回は、パワハラの事例として「リコープロダクション・プリントソリューションズジャパン事件」の裁判例を取り上げ、男性職場における唯一の女性営業職として働いていた女性へのパワハラの実態から、「パワハラ事件は、(セクシュアル・ハラスメントと異なり)業務上の権限行使にみえるため、「暴力」「暴言」などの証拠がないかぎり立証が難しい」ため、「職場のいじめ防止義務」を記載するための法改正など、国としての早急で実効性ある対策が必要と提案されました。
■パネル・ディスカッション
第二部のシンポジウムでは、大脇雅子さんが数々のセクシュアル・ハラスメントの事件例を取り上げ、性的言動が職場のなかでなされることは女性差別であると社会が認識するまでには、多数の裁判が起こされ、判例が積み重なり立法へとつながったこと、そして、女性たちが連帯して裁判を闘い、運動を起こし、こうした権利を獲得してきたことなど、ご自身が関わってきた議員立法の経験も含めて語ってくださいました。
また、和田肇さんは、ハラスメント根絶に向けた研修や講演会などの講師を引き受ける機会が増えており、こうした研修などは回を重ねて実施していくことが重要であること、今日的な課題として、アカデミック・ハラスメントの被害が可視化されてきた現状があること、部活動や学校内でのいじめ問題やテレビ映像における暴力的表現など、日本社会が暴力に対して悪い意味で寛容であることなど、具体例をあげて語ってくださったのです。その後のディスカッションでは、参加者の方々からの質問や意見を基に、パネリストの方々とともに、ハラスメント根絶に向けた方策が検討されていきました。
労働法をキーワードに、研究と実践、そして当事者の方々からの貴重な発言もあり、ハラスメントのない社会づくりへ。さらに一歩!進んだシンポジウムとなりました。
(渋谷典子)
2月9日(土)、シンポジウム「ソーシャル男子が社会を変える」を開催しました。パネリストにお招きしたのは、コミュニティ・ユース・バンクmomoの代表理事、木村真樹さんと、社会福祉法人むそうの理事長、戸枝陽基さんです。またコメンテーターとして、NPO法人地域福祉サポートちたの代表理事、岡本一美さんにもご登壇をいただきました。木村さんは2005年、「お金の地産地消」をキーワードに、東海地方初のNPOバンクとしてmomoを立ち上げ、NPOやコミュニティビジネスなどの地域課題を解決する事業を行う個人・団体へ融資を行ってきました。現在はそれに加えて、愛知県初の市民ファンド「あいちコミュニティ財団」の立ち上げにも奮闘されています。戸枝さんは1999年より愛知県半田市で、重度障がい者を対象とした地域福祉分野で事業を展開してきました。2000年にNPO法人ふわり、2003年に社会福祉法人むそうを立ち上げられてから、双方の特徴を生かした事業を展開してきました。またこの1月からは愛知県を超え、東京での新事業も開始されています。この、30代の男性2人の活動を、比較的近い距離で理解し、応援されてきた岡本さんに、今回は少し先行く先輩としてコメントをいただき、かつ参加者の皆さんとお二人をつなぐ役割もお願いしました。
会場は約60名の参加者で埋まり、男性がなんと6割も。しかも若い男性の割合がとても高い!という印象で、ソーシャルビジネスに対する関心(あるいはパネリストのお二人とそれぞれの事業に対する関心も)が、若い世代の男性に多くあることが感じられました。
さて、今回のテーマは「ソーシャルビジネスを担う、若い世代の男性」=「ソーシャル男子」と定義して、彼らの社会変革のチカラを、事業以外の視点から探る試みをしました。ソーシャルビジネス、というのは「ソーシャルな課題を、事業的な手法で、継続的に改善するビジネス(ダイバーシティ研究所、田村太郎さんの定義)」であり、ソーシャルビジネスが社会変革につながるのは、まさにそれを目指すがゆえなのですが、今回は事業そのものではなく、むしろそれを出発点に、そこからできるだけ掘り下げて、担い手の「人」に焦点を当てることが狙いでした。
社会に提供されている既存の働き方の枠に収まらず、自分で仕事と働き方を作り出すこと。しかも社会の困りごとを解決したい、というところからビジネスを立ち上げる若い世代の男性たちの、暮らしや社会に対する眼差しや価値観の変化が、社会変革と、男女共同参画にもつながっていると仮定して、パネリストのお二人からお話を伺うことにしました。また、当然ですが「男女共同参画」の分野も、企業、自治体だけでは解決のできない課題があり、それを継続的に改善するためには「ソーシャルビジネス」という手法は、有益な解決策の一つです。お二人から、フロアを埋めた(未来の)担い手・支援者・共感者に向けた明るいメッセージをたくさんいただけることを期待して、シンポジウムを開始しました。
というわけで今回は「事業」「社会」「人」をテーマに、パネリストのお二人の、それぞれとの関わり方、それぞれに向ける眼差しや価値観などを伺う時間となりました。結果、期待していた以上の、たくさんのキーワードや心に響くメッセージをいただくことができたことを実感しています。パネリストお二人の実践に基づいた率直な言葉が、会場の笑いや納得の頷きを引き出し、岡本さんのコメントが共感でつなぐ、その繰り返しでシンポジウムは進んでいきました。主催者としての反省は多々ありますが、アンケートの反応と満足度の大きさや、シンポジウム終了後の名刺交換や挨拶の時間に、参加された皆さんがなかなか会場を去らなかったこと、あちこちで人の輪ができ談笑されている表情などからも、それぞれに何かを持ち帰っていただけるイベントだったと感じることができました。
お二人の言葉のすべてを紹介することは難しいのですが、お話の中で印象的だったことのいくつかをご紹介します。まずは、事前の打ち合わせの段階からも言われていたことなのですが、お二人とも「ソーシャルビジネスの担い手」と言われることに苦手感がある、ということです。もともと、ソーシャルビジネスをしたかったわけではなく、社会的な課題に何とか向き合いたいと思い、それを持続可能なやり方で解決できる手だてを実践したらそれが「ソーシャルビジネス」と呼ばれていた、というところは、ニーズがあるから動く、必要とされている人にサービスを届ける、という当事者に寄り添った姿勢と志が、確かに社会を動かす原動力であることを感じました。「苦しんでいる人が目の前にいたら手を出す。何か出来ることはないかと考える。それは人として当たり前じゃないですか」という人が世の中にもっと増え、その人たちが分野や世代を超えてつながったら、身近な困りごとはより解決に向かうでしょう。
また、質疑応答の時間にも印象的な発言がありました。「女性は、活動にしろ、仕事にしろ、公的領域で何かをしようと思ったら、どうしても育児、家事、介護などの私的領域に縛られてしまう。木村さん、戸枝さんは、家事、育児、介護などのケア労働(再生産労働)についてどう考えていらっしゃいますか。また、どう実践していますか」という質問に対して、戸枝さんが「戦後、高度成長の中で社会は「生産」と「家庭」の二つに分けられたけど、この二つは、はっきり分けなくても、もっとボーダーレスでいいんじゃないの?と思いますけどね。たとえば女性が赤ちゃんおぶって会社に来てもいいじゃないですか」と。続けて、ご自身の職場では女性が多く、有能なその人たちが仕事も続けながら出産、育児を当たり前にできるために、自分がその当事者だったらと想像し、これまでの社会の仕組みにとらわれない働き方を工夫しているというお話をされました。それを受けて岡本さんから、「特にNPOは、それができるところなんじゃないでしょうか。自分たちで働き方を決められるし、社会に新しい仕組みを作る可能性も持っている。わたしたちは女性だろうと男性だろうと、だれもが気持ちよく働いて、楽しく、心地よく暮らせる社会を作りたいと活動しているのです」とお話があり、大きな共感を生みました。
最後に、10代、20代といった、さらに若い世代への期待とエールが語られたのも印象に残っています。木村さんはmomoが実践してきた、「momoレンジャー」という20〜30代のボランティアが事業を支える仕組みを紹介しながら、むしろ若い人たちの経験と専門性の不足が、融資先の事業に寄り添う存在としてプラスに働くこと、彼ら、彼女らの熱意が、年輩の専門家たちの志や熱意を引き出すことを事例としてお話しくださいました。戸枝さんも、「今の閉塞感にあふれた社会の中で、僕たち以上の世代はまだまだ経済成長の幻想を見て贅沢をしたがるけど、もっと若い世代の人たちはむしろ、最初っからそんなのはないところで育ってますから、ゆるやかにお金の価値観を下げ、「降りて」きてますよ。問題なのは、育つ力も未来もある若い世代が、きちんと就労をし活躍できる場や希望を、年輩の僕たち以上の世代が差し出せていないことなんじゃないですか」と。先に生きてきた存在として、若い世代になにを手渡すか、その答を実践で作り出すことに全力を注ぐお二人の言葉は、どれもが納得と共感に満ちたものとなりました。
最後に、この企画の立案者としての個人的な思いを述べます。
男女共同参画、 というのは非常に幅の広い言葉です。ともするとそれは「男が仕事、女は家事・育児」の従来の境界線をただ壊すこと、互いが互いの領域に入ればいいこと、と受け取られかねません。そんな理解で「なぜ、女性の担い手を取り上げないのか」とか「ソーシャルビジネスがなぜ男女共同参画のテーマに入るのか」といった反応に、あえて答えを提示してみたいという気持ちがありました。解決するためには非常に手間がかかり、かつ効率も悪い社会課題に対してあえてビジネスで挑むお二人の、多様性や社会的包摂に拓かれた実践にふれていただければ、答えが見えてくると思ったのです。お二人の言葉からは「男女共同参画」という言葉は出されなかったのですが、女性を含め暮らしに負荷のある人たちの働きやすさを工夫したり、女性に積極的に責任のあるポストを任せたり、子育てに主体的に関わったりと、性別役割分担や、男性主体の働き方を越える実践には、確かに男女共同参画社会につながる、男性の意識や行動の変化を感じました。今回のチャレンジングな試みに、そして「ソーシャル男子」という人を食ったようなキャッチコピーにもかかわらず、登壇にご快諾くださった木村さん、戸枝さん、岡本さんには心より感謝を申し上げます。ご参加くださった皆さまへも、本当にありがとうございました。
(中村奈津子)
1月の市民交流事業は、「つながれっとシアター&交流会」です。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台にした映画、『オリンダのリストランテ』を上映しました。
上映後の交流会では、参加者の方々で感想を自由に分かち合っていただきました。
オリンダはイタリアからの移民です。彼女の店はどうもうまくいっていなくて、味付けに文句をつける客や、給仕がお皿を割ったなどといっては、その都度かんしゃくを起こすオリンダ。そのうえ、不動産屋に店を売る相談を持ちかけている状態です。そんなレストランに、恋人を追ってドイツからやってきた青年ピーターが訪れることから、ストーリーが展開していきます。
旅行の途中でお金を盗まれたピーターは、オリンダに助けを求めますが、オリンダはきっぱりと断ります。それでも最後はピーターの粘り勝ちで、豪雨の夜に彼は店のカウンターに寝泊まりして、恋人を探し始めます。
オリンダはピーターに出会ったことから、自分もまた恋人を追ってイタリアからやってきた若い時代を振り返るのでした。そうして、これからの自分の人生に大事な決断をする…というのが大まかなあらすじです。
赤いトマトをリズミカルに刻んだり、卵と粉をまぜて手早くパスタを作ったりと、おいしそうな調理のシーンがとても印象的です。レストランが舞台となっているのは、身体だけじゃなくて、心の滋養が映画のテーマになっているせいかと感じました。
冒頭、大声で怒りまくるオリンダの剣幕に、圧倒される感じがしていたのが、だんだんと小気味よくなってきました。そこまで怒れれば、あっぱれ、という感じ。女性監督によるシナリオで、女性が怒りの感情をストレートに表現することへの肯定を感じたせいかも。映画では、怒りだけではなくて、オリンダの面倒見のいいところや繊細な部分など、豊かな内面が描かれます。
上映後の交流会では、ほとんどの方々に参加していただきました。20分ほどの時間でしたが、4、5人ずつのグループで、初めて出会った同士でのおしゃべり会です。ブエノスアイレスに旅行したことがある方のお話や、おいしそうな料理についての感想など、様々なテーマがあったようです。
中でも、「同じ映画を観ていても、観る人それぞれの印象や感想が違って、それが興味深い」というご意見がありました。まったく同感です。一人ひとりが映画から何を受け取るのか、また共鳴するのかというのは大きく違いますよね。それを知れることもこの交流会の醍醐味かも。
その一人ひとりが違うという、多様性を等しく尊重するというのが、男女平等参画の1つの重大なテーマであることをお伝えして、交流会が終了しました。
見ず知らずの人同士で、観た映画の感想を分かち合うって、想像以上に素敵なものですよ。
次回のつながれっとシアター&交流会にも、どうぞお気軽にご参加ください。 (塚田 恵)
12月の市民交流事業は、『定年、そして10万時間』を執筆された上鵜瀬孝志さんと、俳優の早川けいさんをお迎えし、「どうする? どうなる? 定年後!」と題した、ブックトークを行いました。上鵜瀬さんはコピーライター。13年前に市民活動グループ「ウイ!エルダーマン」を起ち上げ、団塊世代の男性を中心としたメンバーとともにセミナーなどを開催されています。今年3月「男たちの文化祭」においてもお二人にはパネリストを務めていただきました。今回は、早川さんに上鵜瀬さんの著書から朗読をしていただいて、10万時間をいかに生きるかを一緒に考えました。
上鵜瀬さんが「ウイ!エルダーマン」をスタートさせたのは、50歳の時。きっかけとなったのは、神戸在住の元同僚の言葉です。阪神大震災で仕事を失い、名古屋に戻ってきた彼から「将来はどうなるかわからないと思っていた方がいい」と聞かされます。そこで、「男性」をテーマに仲間のネットワーク作りのためのグループを開始しました。現在では、メンバーの様々な経歴や興味を活かして、海外の子ども支援や演劇などの活動が広がっています。
「10万時間」って何だろう?と思っていたら、最初にその解説から、お話がスタートしました。定年の60歳から男性の平均寿命の79.6歳までには19年あります。1日のうち、睡眠など必要な時間を除いた残りの時間、つまり自由になる時間が14.5時間とすると、×365日×19年で、約10万時間です。平均寿命が男性より長い女性は、さらに5万時間プラスの15万時間です。定年後の自由時間は、大まかにいうと人生の3分の一にあたるそうで、ことのほか長いことを実感しました。
本の出版にまつわることなど興味深い話が続いて、思わずくすっと笑ったり、ふっと自分の将来を想像したり。後半は、早川さんの朗読とともに、お話が進みます。
10万時間を充実させるたくさんのヒントのうち、重要なポイントをまとめると、第一に「健康」ですね。健康でなくては楽しく過ごせません。団塊の世代は人数が多いので、将来、病気になっても病院のベッドが足らず、入院治療が受けられないかも…と聞くとこれは大変。今のうちから、体力作りと日頃の自分のケアが欠かせませんね。
次に「ライフプランを準備すること」。定年後の生活をなるべく具体的に計画して、趣味や生きがい作り、家計の見直し、介護のあり方などイメージし、できることは今からスタートしておくのが役立ちそうです。簡単な料理作りや家事一般、身の回りのことがとりあえずでもできれば、家族に感謝され、“おひとりさま”も怖くないでしょう。転ばぬ先の杖ですね。
最後に重要なポイントは、「パートナーや友人関係とのコミュニケーション」でしょう。男性にとっては、これが一番の要なのかなと感じました。会社勤めで身につけた価値観、なかでも相手と競争モードになってしまうことから意識的に抜け出せば、気楽な仲間作りにつながりそうです。
上鵜瀬さんは、人との関係性を作るためには「“ありがとう”が言えることが大事」と話されました。また、「“ごめんなさい”が言えれば、関係性がリセットされて、また新しく始めていくことができる」とも。この2つは、関係作りに欠かせない言葉なのですね。
早川さんの伸びやかなお声を聴いていると、実際にその状況に自分が立たされているようでした。男性の参加者の方には、より身に迫るようで実感しやすかったのではないでしょうか。
男性の定年後に関わる、たくさんのデータを読み解いての内容でしたので、女性の私にも納得がいきやすく参考になること多々あり、でした。
参加いただいたのは男性が8割くらい、50代を中心に、なかには30代の若い世代のカップルの方も。アンケートの回収率がすばらしく、皆さんの関心の高さがうかがえました。
来年3月9日、10日には、お二人に担当していただいて、男性限定の定年後の充実した生活への準備講座「男(わたし)の居場所見つけ塾」も開催されますので、ぜひご参加をお待ちしております。 (塚田 恵)
11月の市民交流事業は、講演会「DVに介入する、ソーシャルワーク〜一人ひとりの力を引き出す支援を目指して!」をおこないました。講師は愛知県立大学教授の須藤八千代さんです。須藤さんは、かつて横浜市の生活保護担当のソーシャルワーカーとして勤務した経歴があり、支援現場での経験をまとめた『ソーシャルワークの作業場―寿という街』(誠信書房)をはじめ、社会福祉や支援、ソーシャルワークをテーマに著書を執筆されています。
11月は男女共同参画推進月間であり、なかでも12日から25日は「女性に対する暴力をなくす運動」期間でもあります。今回は、講演会のテーマをDVとその支援にしぼってお話しいただきました。
はじめに、DV防止運動の歴史的な背景、1980年代頃に欧米で女性の人権問題として国連や世界会議などで採り上げられた経緯や、それが日本ではどのように形づくられたかの経過が話されました。
日本では2001年に「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(いわゆるDV防止法)」が制定されましたが、そこに至るまでは、民間や草の根レベルの地道な活動の蓄積がありました。また当時は欧米でのシェルター活動を見本として、日本でも民間シェルターが開設され始めていますが、その実態調査が初めておこなわれ、各自治体でも女性に対する暴力被害の調査がなされるなど、DV防止法制定前後は、日本のコミュニティレベルでのDV被害者支援の多様な取組みが始まった時期でした。
2003年には、名古屋市男女平等参画推進センターが開設されました。その立ち上げに須藤さんが関わっておられ、須藤さんは言わばセンターの生みの親です。
名古屋市での取組みに関わられた体験談として、DVとは、被害者性が明確で施策として取り上げやすいこともあり、遅々として進まなかった女性への福祉・女性への支援が一気に進んだこと。センターを開設したものの、駅から離れていて、どこにあるかわかりにくい欠点があったこと。当時、名古屋市では婦人相談員を設置しておらず、女性への福祉が十分でなかったのを改善し、2006年には市内16区すべてに女性福祉相談員を設置するに至った経緯など興味深いお話ばかり。
DVに関する世界的な動きが日本に入ったあと、各地域に広がり、それぞれの課題として取り組まれる一連の流れを改めて知ることができました。
続いて、DVを再考するために、文化人類学研究者の桑島薫さんによる『被害者を私的領域に閉ざす作用、それ自体をDVとする』という考え方が紹介されました。DVといっても、DVの起きる家族構成、家族の関係性、経済的背景、暴力被害の状況、暴力の起きる頻度、心理面への影響など、様々な状況があり、暴力を実態として捉えようとすると、どうしても一面的になってしまい、言語化できない問題を逃してしまう危険性があります。そこで、文化人類学の視点からの、「被害者を私的領域に閉ざすことになるか否かをもってDVと考える」という考え方はとても新鮮で理解しやすく、かつ包括的です。
さらに、「DVは女性の人権の問題である」という視点の重要性が述べられました。この視点があれば、支援する側は被害者の選択を尊重することができます。また、暴力被害の影響などによって、今は選ぶことができない状況であっても、被害者の本来の力が取り戻され、いずれ自らが選択できることを信じて寄り添うことができるでしょう。それを須藤さんは「becomingへの支援」と名付けています。
このように、女性の人権の観点は、女性福祉とつながっています。名古屋市の「女性福祉相談員」が「家庭福祉相談員」へと名称変更したことは、女性の人権の考え方が後退したようで残念と語られました。
当日は約50名のご参加があり、DV支援に関心のある方や、支援者の方々のお一人おひとりの存在を心強く感じました。講演会の後の交流会では、約20名の方々が1つのテーブルを囲んで、それぞれの自己紹介や取り組んでおられること、須藤さんへの質問・感想などが盛んに話し合われ、時間が足りないのが残念なくらいでした。
昨年よりつながれっとNAGOYAの活動に参加した新参者ですが、センターの開設やその後の発展が、須藤さんをはじめ、多くの方々の地道な活動に支えられてきたことに改めて感じ入りました。皆さんの思いを大切に、センターの活動が少しでも多くの方々に届くようお手伝いしていきたいと思います。
(塚田 恵)
10月の市民交流事業は、つながれっとシアター&トーク『みつけもの』。この映画は、愛知淑徳大学の学生たちが町おこしを目的として、ゼミで製作した作品です。ゼミの担当教官で、この映画の監督でもある石丸みどりさんをお迎えし、映画の舞台である恵那市岩村町や女城主について、また映画製作にまつわるお話などをうかがいました。
石丸さんはコミュニケーション・デザイナー。これは、グラフィック・デザインを通して人と人をつなぐ仕事だそうです。大学では、グラフィック・デザインや地域デザインを学ぶゼミを担当されていますが、今回の『みつけもの』製作は、岩村町の町おこしがそのきっかけとなっています。町おこしの依頼を受けて、岩村町について調べていくうちに、歴史上の人物である岩村城の女城主がクローズアップされ、その生き方をテーマにした映画作りへとつながりました。
岩村城の女城主は、織田信長の叔母であるお直の方。彼女は絶世の美女だったそうです。三度目の政略結婚で岩村城の遠山景任のもとへ嫁ぎます。夫の病死の後は、実家へ戻る道を選ばず、夫に代わって城主となり岩村の地を治めました。その後、武田家の家臣秋山信友に攻められ、半年間籠城。信長からの援軍を得られないまま、領民や家臣の命を救うために開城に応じます。驚くべきことに、その武将信友との婚姻という最も屈辱的な条件をも受け入れたのでした。信友とは睦まじく暮らしましたが、最期は信長への反逆のかどで罰せられ、夫婦ともに逆磔の刑で絶命します。女性が政略結婚の道具として使われる時代に、自分の生き方を問い、信念をもって壮絶な生き方を全うした女性だったのです。
『みつけもの』では、主人公の女子大生が女城主について調べていく過程で、その生きざまに打たれ、自分自身の進路についても再考していくというストーリーです。最後まで信念を貫いたお直の方の生き方は、現代の私たちにも届く、強いメッセージ性にあふれています。
映画製作のための調査のなかで、石丸さんが発見した歴史的新事実も描かれています。それが何かは映画を観てのお楽しみです。
『みつけもの』は、学生たちがキャストや裏方を務め、撮影時は岩村町に住みこんで町の人たちの協力を得ながら作品作りをしたそうです。最初は乗り気でなかった町の人たちも、学生たちの熱意にだんだん押されていったとか。城下町の趣のある風景が映し出され、自然の豊かな鄙びた町の魅力に溢れています。
映画上映の後は、「岩村町観光ナビゲータ―」でもある石丸さんが、鎧兜を着た女城主をイメージして、デザインした衣装で登場です。一瞬何が起きたの?と皆さんびっくり。参加者の方々も一緒に楽しくカメラにおさまりました。
当日は、岩村出身の80代の方や、岩村高校に通っていたという方など、岩村町に縁のある方々にもご参加いただき、懐かしい思い出をたくさん語ってくださいました。「女城主」と聞くと、お酒の銘柄としか浮かばなかった私ですが、この映画で初めてお直の方の生きざまを知り、近いうちに岩村町を訪ねてその空気に触れたくなりました。 (塚田 恵)
『みつけもの』ホームページ:http://hot-iwamura.com/mitukemono/
9月の市民交流事業は、『新・女性学への招待』を執筆された井上輝子さんをお迎えし、ブックトークを行いました。井上さんは、女性学の草分け的存在で、現在は和光大学名誉教授でいらっしゃいます。
1992年に出版された『女性学への招待』を基にして、出版以降の社会情勢の変化を書き加え、リニューアルされたのがこの『新・女性学への招待』です。
「変わった?変わらない?女性の人生−70年代から現代まで」と題されたブックトークでは、欧米で起きたフェミニズムの波が日本に到達する経緯、女性学が日本に根づき発展していく様子が丁寧に語られました。お話を聞きながら女性学の歴史を一緒に辿っていくような思いがしました。
井上さんは社会学を研究したのち大学教員となりました。就職後、間もなく渡米して、大学の女性学講座の様子を見聞きし、帰国後は日本の大学に女性学講座の設置の働きかけをしました。80年代には女性学講座が徐々に開講され始め、今では、全国の大学において女性学、ジェンダー論、男女平等参画などの講座が設置されています。
かつて学問の世界を担ってきたのは男性で、その研究対象は、政治、経済など男性が興味を持つものに限られていました。女性が興味を持つものは価値がないものとされていたのです。「女性が興味をもつテーマを研究しよう」と始まったのが女性学。女性の生き方、育児や家事、介護、生殖の問題、女性への暴力、男女平等参画などのテーマが広く研究され、社会認識が高まったのも、井上さんをはじめ先人たちが女性学を学べる道筋をつけてくださったおかげです。
興味深かったのは、社会の意識が急速に変化したことによって、以前の女性学での枠組みがそのまま適用できない実態です。社会の変化とは、例えば結婚する4組に1組が「できちゃった婚」であり、恥の意識がなくなったこと。「バツイチ」のように、離婚へのハードルが下がったこと。女性の社会進出とともに未婚のままの女性が増えるなど、個人の生き方が多様化したため、以前の女性のライフサイクル図があまり当てはまらなくなったそうです。また、各分野に女性が進出し、ステレオタイプの影響が弱まったせいか、女性一般を代表するものがなくなったとのことでした。
しかし、一方で社会の在り方は旧態依然としています。夫婦別姓はそれほど進まず、女性が国会議員など要職に占める割合は依然低く、企業は主たる収入は男性が得ることを前提としたままです。今後、女性学が社会変革に対してどのような役割を担っていくのか。女性学自体がどう変化していくのかが楽しみです。
会場に展示されたパネルには、昔の女性たちの活動がたくさん紹介されていました。なかでも30-40代の主婦の研究グループ活動の紹介や、商品の品質・衛生管理の向上に、当時の主婦らの根強い消費者活動が果たした役割が印象に残りました。
女性が結婚したら仕事を辞めるのが一般的だった時代と、出産しても仕事を継続することがもはや珍しくなくなった現在。あらゆる分野に女性が進出できていること。品質のよい商品が普通に手に入る毎日。今日私たちが当然の権利として享受していることが、数多くの女性の地道な努力で勝ち取られたものであることに改めて気づかされました。
当日はあいにく台風がまさに接近中でしたが、主催者の心配もよそに大勢の方に参加していただきました。質問や感想も数多く寄せられて、皆さんの熱意や興味の高さがじんじん伝わってくる会でした。(塚田 恵)
8月の市民交流事業は、ワールドカフェ「ママの“働く”について考えよう!」を開催しました。20〜50代の多くの方のご参加があり、仕事と子育ての両立や、人生をどのように描くかなどについて、グループで活発に意見交換がありました。
今回の話し合いの手法として、ワールドカフェという方法が用いられました。この方法は、まるでカフェに集うようにオープンでリラックスした雰囲気の中で行われます。初対面の参加者同士でも自由にアイデアや意見が共有されて、交流とネットワーク作りが進むことを目的としたスタイルです。結論を出すことが目的ではないというのが、普通の会議とは大きく異なる点です。
5名ずつ座れるテーブルを8つ配置し、30分の枠組みで1つのテーマにそって話し合いをします。心に残ったこと、ひらめいたアイディア、イラストなどを、テーブルに用意された模造紙に、自由に書いていきます。30分が終了したところで、グループメンバーのうち1人だけを残して、ばらばらに新しいグループに分かれていき、また話し合いを開始するというやり方で、第2ラウンドまでおこないました。
最初に口火を切るかたちで、4名のスピーカーの方より、自己紹介とともに日常の様子や心がけていること、課題などのお話をいただきました。
杉浦美岐さんは、キャリアカウンセラーとして、人材サービス会社に勤務。周囲にも働くママが多く、お互いに仕事でカバーしあうなど協力体制がとりやすいそうです。仕事も家庭も2つの人生を楽しもうと、それぞれに集中できるように普段からマネージメントをしっかりしているそうです。
桃井陽子さんは、保育士として20年のキャリアがあり、現在小学生2人のお子さんがいます。仕事の時の子どもへの向き合い方と、家庭での我が子への向き合い方とが大きく異なった体験と、短い時間でも密度の濃い時間を過ごせているというお話をされました。また、女性が多い職場で悩みも似ていることや、この20年で父親の育児の役割がかなり増えたとの印象を語られました。
鈴木祐之さんは唯一の男性スピーカー。2児のパパです。長男の育児休業をとったことから人生観が変わり、転職しました。普段から保育所の送り迎え、日常の食事作り、洗濯などをこなすイクメンです。“ママが働く”が当たり前になるには、多くのサポートが必要と考えています。
新井みち子さんは2歳の子どものママです。出産後11ヶ月で保育園を利用して職場復帰しました。復帰することに迷いはなかったそうですが、子どもが次々と病気にかかったことで、これは大変だと実感したそうです。夫の協力があることが大きく、育児休暇中にママスタート・クラブに参加し、そこで仲間と関わることで乗りこえられたことが多いとのお話でした。
4名のスピーカーのお話の後、第1ラウンドがスタートしました。このラウンドのテーマは「スピーカーの方のお話を聞いて、あなたに響いたことは?」です。どのグループでも、メンバーは共通の興味や課題を持っているせいか、最初の自己紹介から会話がはずんで、30分では話したりないくらいの盛り上がりでした。
第2ラウンドのテーマは、「子育てをしながら、働くことの意味、メリットは何だと思いますか?」。自己紹介のあと、前のグループで何が話されたかを、グループに残ったメンバーから紹介がされます。会場では、笑い声があちこちから聞こえ、一方で、真剣に意見に聴き入る姿もみられて、初めて会った方々ばかりとは思えないくらい、熱心に意見交換が進んでいきます。
第2ラウンドが終了し、クロージングの時間。テーマは、「働くママたちに立ちはだかる“壁”は何だと思いますか?」というもの。まず個々にA5サイズの紙に書きだしてもらい、テーブルごとにそれを共有しました。20代の参加者からは「親に頼れない」、「職場で同じ立場がおらず、理解してくれる人がいない」といった悩みが語られ、50代の参加者からは「自分の時は、家事ができない夫、それがあたり前だったから…」と、当時を振り返っての話がされるなど、様々な意見が出されます。
そしてイベントの最後には、その紙を全体の模造紙に貼って、参加者で分かち合ってもらいました。そこには、働くママへの偏見、周囲の無理解などの外側のことから、自分の価値観や考え、一人でやろうと思いすぎてしまうことなど、主体的な事情まで幅広く様々な意見がみられました。
貼られた模造紙の前では、じっと意見を読み込んでおられたり、名刺交換して話し合ったり、と、多くの方々がなかなか去りがたい様子だったのが印象的でした。ここから新たなネットワークが生まれることを予感させられました。アンケートからも「普段、仕事と家事・育児に忙しく、周囲に同じような境遇のママがいないために、ストレスもたまりがちなのが、今回仕事を持ったママたちと話せただけでリフレッシュできた」という声が多く聞かれました。 引き続き、働く女性を応援するために、このような機会が提供できればと思いました。共催としてご協力くださった、ママスタート・クラブの榊原さん、大竹さん、ありがとうございました。(塚田 恵)
7月の市民交流事業は、「一日、まるごと!つながれっとシアター」と題して、センター内の2会場において、一日映画上映会をおこないました。また、映画上映に合わせて、ビデオジャーナリスト白石 草(はじめ)さんによるトークイベントを開催しました。
上映作品は、ジェンダーの視点から選ばれた7作品のほか、介護、女性の生き方、高齢者の自立がテーマの映画『老親』、韓国女性労働者の労働運動を記録したドキュメンタリー映画『Weabak:外泊(ウェバク)』、アメリカの市民メディア活動や独立系メディアを紹介する記録番組3作品、福島原発事故をテーマにした4作品など、多岐にわたるものでした。なかでもセクシャル・マイノリティーをテーマにした短編ドキュメンタリー作品『今を生きる〜セクマイの未来(あした)〜』は、専門学校の卒業製作として作られたもので、当日は監督の森下尚貴さん、助監督中村理恵さんのお二人から上映前にご挨拶がありました。
午後に入り、白石さんを迎えての「シアタートーク」が始まりました。白石さんは、大手テレビ局での勤務を経て、2001年に「OurPlanet-TV」というネット放送局を設立し(現在はNPO法人)、代表を務めています。10年間にわたって、マスメディアと異なる視点で発信を続けた功績から、2011年には放送ウーマン賞を受賞しました。
OurPlanet-TVは、市民が主役と位置づけられており、“Standing together”−共にいて発信する、”Creating the future”−一緒に未来を作っていく、との理念に基づいて運営されています。主な活動は、インターネットでの放送、メディア関連資料やビデオ作品が閲覧できるメディアカフェの運営、映像撮影・編集作業を学べるワークショップの開催です。参加者は20代から70代に及んでいます。近年では、“誰もが発信できる時代”として「トーチプロジェクト」を企画し、これまで社会でマイノリティとして扱われ、メディア放送により傷ついてきた人たち−例えば、刑務所に収監された人、元ハンセン病患者、釜ヶ崎に暮らす人々、薬物依存症のある人など−が当事者となって、単に撮られる側ではなく、自らカメラを回して映像を作り、発信するという活動を始めています。
白石さんが最初に入社した大手メディアは、男社会の気風が強く、ほとんど女性がおらず、そこに働く人には大変過酷な状況だったそうです。“ジェンダーの視点はもちろんまったくなく、文化が歪んでいる。でも、その是正も難しい”世界。そこに疑問を感じて、「誰もが自由に発信できて、誰もが人権を守られるメディア」を求め、現在の活動を開始されました。
今回のシアターでも、OurPlanet-TVの作品がいくつか上映されましたが、その1つがアメリカの市民メディア活動を紹介するものでした。現在、アメリカには数千のチャンネルがあり、放送はもちろん、撮影、編集のワークショップが盛んに実施され、ボランティアが多数参加していて、誰もがメディアに係われるような工夫がされています。街中にあるメディアセンターは、敷居の低い、オープンな運営が印象的でした。これらのメディアでは、根幹にジェンダーの視点がきちんと存在しており、それは社会的弱者と見なされる人の人権を守る上でも不可欠と位置付けられています。
白石さんによれば、「日本の場合、メディアの新旧に係わらず(TV、インターネットともに)、ジェンダーの視点が大きく欠如している。ことにインターネットでは女性差別が著しい」とのこと。機関の構成員についても、ほとんど男性で占められ、男女比が大きいなど、日本のメディアの問題について指摘がありました。
昨年起きた福島第一原子力発電所の事故を契機に、避難生活を強いられた人たちへのインタビューの作品も、日常生活そのままのなかで自然に語られる姿が強く印象に残りました。小さな独立メディアでも、信用されているからこそ、自らの体験を語る人も多いのではないでしょうか。事故から一貫して福島の人々の現状を伝え続け、現在もビデオ上映やイベント開催などで、私たち被災地より遠く離れた人に生の情報を届けようとする真摯な姿勢が伝わってきました。白石さんは「被害より復興へと移っていく、マスメディアにおける事故の風化が気になる」と話されました。
話題は、最近の首相官邸前での反原発デモの報道に移りました。今回のデモの参加者は、団体に属さない、子連れの母親など個人の参加者が多いこと、マスメディアが報道しないからといって参加した人も多く、信頼できるメディアに対しては積極的に発言するなど、これまでのデモの参加者像とは大きく違っており、「参加者一人一人の過渡期なのでは」とその印象を話されました。チェルノブイリ原発事故を契機に、フランスで始まった海賊放送から、コミュニティが生まれ、やがて緑の党が政党として成立した例を挙げ、「生活の中で困難から立ち上がっていける人には、社会を変えるという意識が芽生える。事故をきっかけに生き方や暮らし方が見直されており、特に女性たちの力、メディアの関わりによって、これから新しいものを生み出せるのでは」と結ばれました。
これまで大手メディア以外の報道というと、USTREAMかニコニコ動画を時おり観るくらいでしたが、今回の上映会と白石さんのお話から、日本でも独立系メディアが市民を巻き込みつつ、積極的に活動を広げていることを初めて知りました。昨年以来、原発事故の画一的報道や自粛の様子から、大手メディアはもはや信用できない。しかし、ネットは過激で偏りが大きいからと敬遠する人は多いと思います。私はこれまで、「報道のあり方を変えるなど個人ではできないし、そもそも自分とは遠いもの」という思いが強かったです。今回、日本の新しいメディアの可能性を見聞きして、「こんなのもありか〜」とメディアがぐっと身近になり、新しいものが生まれてくるかも、と今後が楽しみになりました。
90分という短い間で、質疑応答に十分時間がとれずに残念でしたが、白石さんのOurPlanet-TVの活動にかける静かな闘志を感じました。参加者の方からも、今回のつながれっとシアターについて「とても有意義だった。ぜひまたやって欲しい」という声を聴かせていただき、大変うれしく思いました。
(塚田 恵)
6月の市民交流事業は、坂東眞理子さんによる講演会をおこないました。タイトルは、「女性の仕事は後半からがおもしろい−仕事、結婚、家族、老い」です。
坂東さんは、世に男女機会均等法のない時代に官僚としてキャリアをスタートし、結婚後も家庭と仕事を両立して活躍されてきた方です。2003年に内閣府男女共同参画局長を退職され、現在は、昭和女子大学学長。評論家としても知られ、33冊目の著書「女性の品格」が300万部を超える大ベストセラーになりました。また、坂東さんは、名古屋市男女平等参画推進センターが開館したときにテープカットをしてくださった方で、センターの生みの親のお一人です。
この講演では、今年5月に上梓された上野千鶴子さんとの対談集「女は後半からがおもしろい」のタイトルにあわせて、女性の人生の後半期を、いかに充実させ楽しく過ごすかについてお話しいただきました。
日本は高齢化が進んで、現在は人口の23.3%が65歳以上。これらの人々の人生の後半期の過ごし方が、私たちの社会に及ぼす影響は大きいと言えます。一般に高齢化社会と聞くと、活力がなくなる、社会保険や税の負担が増える、停滞する、などマイナスイメージを感じる人がほとんどです。
しかし、70代であっても97%の人は健康ですし、20年前の65歳の体力は、現在の75歳と同じだそうです。すごい若返りですよね。もはや、高齢者といっても、昔のように枯れていくイメージとは程遠いものがあります。
悠々自適というように、自分の趣味や個人的な関心事にエネルギーを注ぐという生き方もありますが、この若さを生かさないともったいない、というお話にもうなずけます。
一人一人が自分の良さを見出して磨いていけば、社会に貢献し、活力を与えることができる、とここでご自分の例を挙げられました。
33冊目の著書がベストセラーになったのは、坂東さんが60代に入ってからだそうです。人生があまり見通せない若い時期に達成するよりも、さまざまな経験をし、苦労を重ねた末の後半期に結実するものは、特に味わい深いのだろうと想像します。
後半期の暮らしの具体的な戦略としては、?おしゃれをする、?持ち物を吟味し減らす、?自律・自律、?クリアな脳を保つ、?社会とつながる、?若い人のメンター、スポンサー、ファンになる、?賢いお金持ちでいる、の7つが紹介されました。
なかでも印象的だったのは、?の「“きょうようがある”、“きょういくがある”人は元気」という言葉です。これは「教養がある」「教育がある」人、ではなくて、「今日用がある」、「今日行くところがある」人、という意味です。
たしかに、用事があって、出かけなくてはならないと思えば、朝起きて身支度を整えてと、ある程度の緊張感を持ちつつ、身ぎれいにすることにも自然に注意が向きます。頭も使いますし、生活の張り合いや社会性を保ち、新しいネットワークを作ることもできます。特に人生の後半において、外で会う人や出かける用事の有無が、私たちの人生の質を大きく左右するのです。些細なことのようでいて、その意味合いは大変深いものとして、心に残りました。
会場は30代、40代の、今後人生の後半期を迎える年代の方々が、メモをとりながら熱心に聴き入る方が目立ちました。これからの生き方を考えるうえで役立つヒントを得た方も多かったのではないでしょうか。
坂東さんは講演会の90分間、ずっと姿勢よく立ったままでした。私が受けた印象は、「若々しく、にこやかでエネルギッシュな女性」、の一言。“健康に気を付けて、熱意をもって打込む”生き方を、まさに実践されています。後半期に向けて、私が今すぐできることはなんだろうと、お話しを伺いながら考え続けた講演会でした。
(塚田 恵)
5月の市民交流事業は、「こころのメンテナンス わたしをひらく、花あそび−part3」を開催しました。
清水きよみさんによるアサーティブ・コミュニケーションのワークショップと、大隅都さんのフラワーアレンジメント講習のコラボレーション。このシリーズは、今回で3回目です。毎回大変好評で、今回も出席率100%という盛況ぶりでした。
アサーティブとは、自己主張とも訳されますが、ただ自分の言いたいことを言うのではなくて、自分の気持ちや考えを大切にしながら、同じように相手の気持ちや考えも尊重して、コミュニケーションを図ることを言います。
攻撃的な言い方をしてしまうと、相手を尊重できないですし、後で冷静になって自分を恥じてしまいます。相手との関係を壊してしまうこともあります。一方で非主張的だと、言いたいことをガマンしてモヤモヤが残り、落ち込んでしまうなど、どちらも自己嫌悪につながりやすく自信もなくなります。どちらの言い方も、自分も相手も大切にできませんし、いい関係は生まれにくいです。
アサーティブ・コミュニケーションでは、攻撃的にならず、反対に遠慮して非主張的にもならず、自分の気持ちや欲求に率直になって穏やかに相手に伝えるのです。そのためには、「自分の好き嫌い」などの感情や「〜したい」といった欲求を否定しないで肯定できることが必要です。
今回のワークショップは、1時間という限られた時間でしたが、自分の好き・嫌いの素直な気持ちを確かめてみる、自分から声をかけてグループになる、好きなものについてグループで話し合うなどの実践を通して、自分の気持ちをじっくり味わい、自分をひらく時間を持っていただきました。
「アサーティブ・コミュニケーションが大事とわかっていても、いつでも、どんな相手にも100%自己主張できるか、というと、そうではありませんよね。体調が不調だったり、急いでいたり、あまり知らない相手だったり…と状況によって、コミュニケーションは変化します。アサーティブになれなかったことで自分を責める必要はなく、アサーティブ・コミュニケーションがとれそうな相手、状況から始めてみればいい」と、清水さん。それなら少しずつやれそう、と皆さんの自信につながったのではないでしょうか。
お話の最後に、『どんとこい、貧困!』(湯浅誠著)から次の言葉をご紹介いただきました。「見えないことが無視につながり、関心は尊重につながる」。自分の気持ちを無視しないで関心を寄せることで、自分を尊重できるようになり、相手にも同じようにできるようになる。これって、まさしく、アサーティブ・コミュニケーションが目指すところですね。
後半のフラワーアレンジメント講習では、先のアサーティブ・コミュニケーションを活用して、お互いに声を掛け合ってグループ作りをするところから始まりました。それぞれのグループには、いろんな種類のハーブ苗が用意されましたので、それを円満に分けることにもアサーティブ・コミュニケーションが生かされたようです。
講師の大隅さんは、たくさんのお金をかけなくても、気軽にアレンジメントを楽しめることを知ってほしいと、今回の講座でもアイディアと工夫を凝らして、花材揃えしていただきました。そのほか、日常的にアレンジを楽しむ方法として、身近にあるもの、例えば四角いケーキ型などを花器に代用すること、アボカドの種からグリーンを育てる方法など、簡単なアイディアを教えてくださいました。
参加者の方々は、初めてアレンジメントをする方から、長く経験がある方までさまざまでしたが、グリーンとお花のバランスを工夫したり、マスキングテープを使って飾ったりと、皆さん自由に楽しんでおられました。同じ花材でアレンジメントをしているのに、作品の仕上がりは個性的で、印象が大きく違うのが興味深かったです。(合わせて作品の写真をご覧ください)
アレンジメントのお花の香りとグリーンの色とで、ゆったりと贅沢な時間を過ごしていただけたようです。また、グループで楽しくおしゃべりした後に、連絡先を交換されている方々もおられて、担当者としてはうれしい限りでした。
(塚田 恵)
4月の市民交流事業では、「つながれっとシアター&交流会」を開催しました。
ゴールデンウィークの初日、お天気も良く行楽日和だったのですが、定員50名にほぼ近い大勢の皆さんにお集まりいただきました。
ココ・シャネルの生涯を描いた「ココ アヴァン シャネル」の上映のあと、参加者の方々で感想などを自由に分かち合っていただきました。
孤児院で育ったココ・シャネルが、有名になることを目指して生き、ついにはファッションの世界で成功をおさめるまでが描かれます。映画では、自分の出自に係わりなく、貴族相手に物おじせず、男性上位の世界でたくましく生きる姿が痛快です。シャネルは、男性のスーツからヒントを得て、女性のファッションを大きく変えたことで知られていますが、映画からも、当時の彼女のアイディアが現代の女性のファッションにもつながっていることを感じました。“誰の妻にもなりたくない”と語るシャネルの姿が、強く印象に残った映画でした。
スタッフとして、「つながれっとシアター」に初めて関わった私は、映画のあとの交流会になれば、半分くらいの方がお帰りになるのでは…と心づもりをしていました。初めて会った人同士で、映画の感想を話し合うというのは抵抗があるんじゃないかなーと内心思いましたので。
上映が終わり休憩をはさんで、いざ交流会が始まりますと、8割くらいの方々がご参加くださり、たいへん嬉しい誤算でした。数人ずつのグループで、和気あいあいと話し合いが続く様子には、こちらも心がじんわりと温かくなりました。
シャネルの香水について、「N゜5しかつけたことない」、「N゜9よりN゜19の方がいいわよ」と語る女性のグループ、「シャネルは“強い女性”のイメージだったけど、支える男性の存在があったことが意外だった」という声や、「彼女のおかげで今、私たちが自由にファッションを楽しむことができる」といった感想が聞かれました。
皆さんのご様子から、交流会で映画の感動、感想を分かち合うことで、一層深く映画を味わっていただけると実感しました。次回のつながれっとシアター&交流会にも、どうぞお気軽にご参加ください。
(塚田 恵)
3月の市民交流事業は、「男性たちの文化祭」。“これからの男性の生き方の模索”をテーマに、パネルディスカッションと交流会をおこないました。文化祭らしく、バンド演奏あり、演劇ありの楽しいプログラムでした。
また、この文化祭は、連続講座「今様 男の生き方」講座の最後の回を兼ねています。4回の各講座を担当された講師によるシンポジウムからスタートしました。
まず、コーディネーターの上鵜瀬孝志さんから、次のような視点が挙げられました。毎年3万人を超える自殺や少子高齢化など社会問題、高度経済成長の時代が終わり、男性も生き方を転換させることが必要な時代になっていること。「お金があれば幸せ」との価値観が疑問視され、人の幸せ度を計る指針として、地域との関わり、家族や友人との親密度が挙げられることなど。なかでも、「友人は値年金」との言葉が印象的でした。友人とは、年金にも値するくらい価値ある大切なものという意味だそうです。年金と同じく、暮らしを支えるくらい大きな存在ですよね。
次にパネリストの市川季夫さんから、定年後の生活について、「3つの面の管理」の提言がありました。それは、金銭管理、健康管理、時間管理です。金銭面では、退職後は少額でもよいので、いろいろな方面に収入源があると心強いこと。健康面では、特に食について気を使い、なるべく外出し仲間を作るよう心がけることが心身の健康につながること。時間の面では、目標をもって暮らすことを挙げられました。これらの3つの面は互いに関連していて、バランスよく調整するのも大切とのこと。孤立しないで仲間と交流できる居場所、「男のとまり木」を作っていくことが必要なのでは、というお話でした。
内藤節子さんは、妻としての立場からお話しされました。子育てが終わって、大学で学び始めようとしたとき、夫が言葉で応援してくれたこと。大学院時代には、料理の面で夫がバックアップしてくれたエピソードを紹介されました。妻の起業について、夫が近所の人に嬉しそうに話していたと伝え聴き、面と向かっては言わなくても、妻が好きなことに取り組み、活き活きすることを夫は喜んでいるんだと気がついたそうです。「女性が暮らしやすい社会は、男性にとっても暮らしやすい社会である」とのお話が印象に残りました。
最後のシンポジストは早川けいさんです。早川さんは、妻をガンで亡くし子ども2人を育ててこられました。また、ご自身も大きな病気をされたことから、生きる価値観について思いめぐらされたそうです。「60歳以上の自殺者の7割は病気を苦にしており、なかでもうつ病が原因になることが多い」と早川さん。そこで、自殺の予防として、孤独にならず、人と人との結びつきを大切にすること、親友づくりを心がけることを提案されました。さらに、定年後の過ごし方については、「夫婦の価値観がくい違うことがある」とのこと。例えば、夫は夫婦2人でのんびりしたいと思っているのに、妻は夫の世話から解放されたいと思うなどです。しかし、たとえズレがあるまま定年を迎えても手遅れではないそう。それは、今から「自分のことは自分で」を実践することだそうです。「奥さんが居なくなると大変ですよ。病気で入院でもされたら。家のことさっぱりわかりませんでしたから!」と、早川さんの実感のこもった言葉に、ドキリとした男性も多いのではないでしょうか。
シンポジウムのまとめとして、?友だち−誘い誘われ外に出る、?生きがい−何はなくとも好奇心、?新しい価値観−「競争」から「協奏」へ、のキーワードが示されました。この3つは30代、40代も含めた男性に共通するもの、これらを実践することで、女性も暮らしやすい社会になるのではとのお話でした。
後半の交流会は、MOMOIROバンドの演奏から始まりました。日本のポップスから昭和の歌謡曲、オールディズまで、幅広いジャンルの選曲で、手拍子あり、ダンスありで大いに盛り上がりました。観衆以上に楽しんでいるのは、実はバンドのメンバーさんだよねと確信させる、ノリノリの演奏でした。
いよいよ最後は、「男・定年どこへ行く」の“感劇”上演です。今回は「酔人」を友人出演に迎え、劇団「OTN60」の旗揚げ公演となりました。それほど広いとは言えない交流ラウンジの、3か所を使って場面を変えるという離れ業が使われ、皆さんの情熱が伝わります。初舞台とは思えない堂々とした演技やセリフ回しに感心しきりでした。公園のベンチでさみしそうに座っているおじさん2名。等身大の中年男性の悲哀がストレートに伝わってきました。「女も応援するよ、頑張って」と心のなかで思わず声をかけた名演でした。
つながれっとのいつものイベントとはがらっと違い、交流ラウンジが男性ばかり。これからの生き方を模索されている男性がこんなに大勢いらっしゃることに、とても感銘を受けました。
昨年の大地震は、多くの人にとって自分の価値観を問い直す出来事になったと思います。勤め人には、定年の日は絶対にやってくる。定年も同じように価値観を問い直し、新しい生き方を、しかも自分もまわりも幸せにする生き方を選び直せるなら、幸いな出来事と言えるのではないでしょうか。
女性にとって、友だちと交流を持つことの価値は自明のこと。それ抜きの人生なんて、ありえないくらい大切なこと。女性の私は、お話を聞きながらオジサマたちに少々優越感(失礼!)。でも、女性も男性にその良さをぜひ味わってもらいたいし、新しいチャレンジに向けて応援したいと思っているはずです。定年後の男性の新しい人生が、パートナーと仲良く労りあい、仲間と楽しく幸せなものであるようにと強く願ったイベントでした。
2月の市民交流事業は、「性の多様性から考える人権」をテーマに、基調講演とパネルディスカッションをおこないました。
中京大学の風間孝さんによる基調講演では「性の多様性と人権」のタイトルで、主にセクシュアル・マイノリティについて、基本的なことからお話しいただきました。
講演では、「セクシャル・マイノリティとは誰か」と題して、性的指向の多様さ、性別違和とは何か、性同一性障害について説明されました。次に「セクシュアル・マイノリティの抱える問題」として、無知とステレオタイプ、民族的マイノリティとの違い、ホモフォビア(同性愛嫌悪)、学校での問題、セクシュアルハラスメントの問題、健康問題、トランスジェンダーフォビア(非伝統的性表現への嫌悪)など盛りだくさんの話題でした。
風間さんは、自分の性的指向(どちらの性にどの程度惹かれるか)や性自認(身体のあらわす性と自覚する性の不一致)などに悩む学生がいることを想定し、彼らが話せる相手として、またロールモデル(生き方の見本)の一人となるべく、ご自身がゲイであることを授業でオープンにされています。
人が男女どちらの性にどの程度惹かれるかには、様々なバリエーションがあります。主なベースは異性愛だけれどまれに同性愛、のように。性的な指向は、実は広く多様なもので、ひとりひとり異なっています。アメリカのキンゼイレポートによると、完全な異性愛の人はわずか数%で、ほとんどの人はグレーゾーンに含まれるそうです。
講演のなかで、学校での問題についてふれられたとき、改めて切なく感じたのは、学童期や思春期に「ホモ、おかま、おとこおんな」などのからかいや、決めつけをされた経験が半数以上の人にあったことです。異性愛を前提とした性教育がなされる今の学校環境では、子どものうちに性的指向や性自認に違和感があっても、それが何なのかつかめず混乱し、相談することも難しい現状でしょう。周囲に打ち明けることも容易ではなく、孤立感はさらに増すのではないでしょうか。
性の多様性、セクシュアル・マイノリティについて、私たちが無知であること、誤解や偏見を抱いていることと、子どもから大人の年代に至るまで、彼らが安心感を持てずに孤立し、この同じ社会で自分らしく生きていくのが困難なことには深い関連があります。ですから、セクシュアル・マイノリティのテーマは、当事者だけの課題なのではなく、私たち自身に問われていることでもあるのです。
講義が進むうちに、頭の中で “世間が想定する枠組みから外れると、たちまち攻撃される構図”が立ち上がり、かつて経験した嫌な感じがじわじわと思い起こされました。世間に期待される女性役割の枠からはずれると、すぐに「女らしくあれ」、「でしゃばるな、おとなしくしていろ」と有言無言のプレッシャーを受ける、あの重苦しい感覚を…。セクシュアル・マイノリティの方々を取り巻く問題は、社会的少数者としての女性問題の構図と確かに共通する。多様な生き方を認め合うことの重要性が腑に落ちた瞬間でした。
後半は、尾辻孝子さん、安間優希さんを迎えてのシンポジウムです(椙山女学園大学院の後藤彩乃さんは急病のため欠席となりました)。子ども、兄弟、友人など身近な人がセクシュアル・マイノリティと知った場合、自分はどう感じるだろうか、どう対するだろうか、などと想像しながらお話を聞きました。
尾辻さんは2006年にセクシュアル・マイノリティの子を持つ親の会を立ち上げ、現在はNPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会の代表として、活動されています。
尾辻さんは長女が26歳のある日、同性愛者であることをカミングアウトされ、大変なショックを受けられたそうです。「これまで作ってきた家族が壊れる」と悩み、2年間誰にも言えず一人で悩まれました。
長女が府会議員になり、同性愛者であることを綴った書籍を発刊することとなって、親戚にも知られることとなりましたが、長年アトピーであった長男が語った孤立感と「家族で長女を応援するべき」との言葉で、心がふっきれたと、会の立ち上げまでの経過を語っていただきました。学校教育の中で子どもを孤立させないためにも、早くからの啓発が大切と、会の作成したパンフレットを神戸市の中高校全校に配布することができたと、大きな成果を報告されました。
安間優希さんは、現在NPO法人PROUD LIFEの代表理事として、セクシュアル・マイノリティの当事者運動をされています。安間さんには、性同一性障害の当事者の立場から発言していただきました。
男性として生まれ、中学生になって女性の服装をしたいと思い、こっそり姉の服を着ていたという安間さん。ずっと恋愛対象が女性だったのでおかしいとは思わず、ただ女装をしたいことは恥ずかしいことと感じていたそうです。高校生の頃は女性とも交際し、29歳で女性と結婚。子どもにも恵まれ、育児の熱心な父親として子育てもしました。
しかし、自分の中で性への違和感が強まり、男性としての外見と自分のあるべき姿との隔たりが大きくなっていきました。性同一性障害特例法が成立し戸籍変更が可能となった頃、女装癖を直さなくてはとずっと思ってきたのを「もう我慢しなくていいのかも」と思うようになり、パートナーの後押しもあって、2008年に女性として生きることに決め、お子さんを含めた家族や周囲にもカミングアウトしたそうです。
当時の変化を「モノクロの世界に生きていたのが、カラーの世界に変化した」と表現され、大きな喜びと解放感が伝わるようでした。「同性愛者は外から目に見えない。けれど、性同一性障害は常に自分への違和感を突きつけられるから、24時間カミングアウトしているような辛さがある」との言葉が、印象的でした。
セクシュアル・マイノリティの中でも性同一性障害が先に認知されるようになったことなど、当事者内での差別化があること、また、セクシュアル・マイノリティの人権を守るべきというコンセンサスが未だ得られていないことから、当事者が声を上げる必要性を語られました。
会場からは、セクシュアル・マイノリティの定義、性同一性障害のうち、MTF(男性から女性になった人)と、FTM(女性から男性になった人)の割合、カムアウトしたくない人にどう対するか、セクシュアル・マイノリティの原因は何かなど、パネリストの方々が答えきれないくらいの質問が寄せられました。参加者の皆さんの熱心さと関心の高さは主催者側の予想を超えたものでした。
今回、様々な年代の方々に数多くご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。風間さんがおっしゃったように、多様な性とその生き方を皆さんで考える、価値ある最初の一歩を踏み出せた第一回となりました。
(塚田惠)
1月の市民交流事業は、つながれっとシアター「外泊」でした。
今回は、1月13日金曜の夜と14日土曜の午後というように、試験的に2日間開催し、都合のよい日程で参加していただけるようにしました。金曜の夜には、仕事帰りの方に多く参加していただけました。
さて、『外泊(ウェバク)』は、韓国で510日続いた女性労働者たちの闘いを描いたドキュメンタリー映画です。「非正規雇用保護法」施行前に大量解雇を行ったイーランド社に対して、怒り立ちあがった女性たちは、2007年6月30日の夜、仕事場であるホームエバー・スーパーマーケットのレジを占領します。それが彼女たちにとって、「はじめての外泊」でした。お弁当を分け合い、歌い、踊り、スピーチし、ストライキをする彼女たちは楽しそうです。一方で、妻や母としての役割を果たせない葛藤や苦悩も抱えます。彼女たちの言葉一つ一つが、自分の生活と重なり、女性が置かれている立場に家制度や性別役割分業の根強さを感じました。
闘争は、やがて政治的な大きな動きに巻き込まれ翻弄され、最終的にはホームエバー社が他社に買収されることで結末を迎えます。『外泊(ウェバク)』の女性たちは、それぞれの家に帰って行きました。彼女たちを「外泊」させたものは何か、映画を観終わった後もじっくり考えたいテーマです。
ところで、素晴らしい映画を観終わった後、しばし放心状態で言葉を失うことがあります。今回の「外泊(ウェバク)」も、エンドロールが終わった会場は、終わりの挨拶をすることもためらわれるほどに感動の静寂を感じました。「外泊」は、韓国で起きた労働闘争を描いていますが、日本の女性労働の問題にも非常に多くの問題を投げかけてくれます。機会があれば、ぜひ皆さんのところでも上映会をお勧めします!
(事業運営局 伊藤静香)
拡がる。
届ける。
受け取る。
「拡がるブックトーク」は、男女共同参画センター【センター】とNPO法人ウイメンズアクションネットワーク(WAN)【インターネット】、そして、岩波書店が刊行した『新編 日本のフェミニズム』(全12巻)【書籍】をつなぐ協働事業として全国各地で開催されています。企画がスタートしたのは昨年7月、第1回は今年の6月。「書籍・センター・インターネットを重層的につなげつつ、フェミニズムを次世代に手渡す」という目標を共有し、ともに力を合わせて活動する協働事業を展開中です。
「書籍+センター+インターネット=∞(チカラは無限大)」
名古屋市男女平等参画推進センターで実施された『新編 日本のフェミニズム』第2巻『フェミニズム理論』のブックトークは、この協働事業の第11回目!名古屋での開催に向け、全国各地のブックトークでの経験を活かすことができれば…と思いつつ企画を組み立ててきました。
さて、ブックトーク@なごや!
幕開けは、共催者であるNPO法人ウイメンズアクションネットワーク(WAN)からの挨拶。「女性をつなぐ総合情報サイト―女性のための情報を発信し活動をつなぐウェブサイト」を核として活動しているNPOです。登壇者のお一人、上野千鶴子さんが理事長を担当されています。
■WAN:http://wan.or.jp/
基調講演は、『フェミニズム理論』の編者で首都大学副学長を務める江原由美子さん。「フェミニズム理論という冒険」をテーマに「燃えて」語ってくだいました。
大きな枠組みとしては、次のとおりです。(江原さんのレジュメより)
1 フェミニズム理論とは?
2 フェミニズムの知識批判
3 近代批判としてのフェミニズム理論
4 モダンとポストモダン
5 暗雲の中のフェミニズム理論
この基調講演を受け、「明日につながるバトントーク」へ。
江原さんと東京大学名誉教授の上野千鶴子さんが「フェミニズムのバトンのゆくえは?」をテーマに熱くトークを展開したのです。
・理論は、「もやもや」した感覚や「うざい」という気持ちからスタート
・理論は直観から生まれ、理論構築には「しつこさ」と「こだわり」が重要
・新たな理論は、既存の学問から抑圧を受ける
いま、ここでしか聴くことができないおふたりからのメッセージであふれていました。
まだまだ、続きます。
ブックトーク@なごや…キーワードはバトン。
最後に、取り出されたバトン!
江原さんと上野さんがサインをして、「どなたか、フェミニズムのバトンを受け取ってくださる方はいますか」と一言!
……ひとり、そして、よにん。ぜんぶで、ごにん。
バトンを受け取る女性たちが現れました。
ほっとする江原さんと上野さん。
「フェミニズムに対する思いと問いがこめられたバトン」を受け取った女性たちからのメッセージを聴きながら、フェミニズムの新たな可能性に思いをめぐらせました。
わたしのフェミニズム、発見のとき。
追記:全国各地のブックトークの報告等は、下記のサイトでご覧になれます。
■http://wan.or.jp/booktalk/
(渋谷典子)
11月12日から25日は女性に対する暴力防止運動期間です。名古屋市男女平等参画推進センターでも毎年11月には女性に対する暴力防止(DV防止)に関する事業を実施しています。
今年度は26日(土)に、ジャーナリストで、現在は和光大学教授でもある竹信三恵子さんを東京からお呼びして、「DVの視点からみる女性の貧困の現状」についてお話しいただきました。この日は、名古屋市内のいろんな機関でイベント開催が重なる中、当事者、支援者それぞれに関心のある方々がご参加くださいました。中にはかけもちで参加された方もいて、この講演会への期待の大きさがうかがわれました。
「結婚は女性を貧困から救うか?」と、レジメの一行目で問いかける竹信さん。2008年に取材した記事を参照しながら、経済的基盤があったにもかかわらず、結婚によって貧困になる女性の事例を取り上げました。「女の子は結婚すればいいから」という言説に対し、「DVを伴う結婚は、女性を結婚前より貧困にし、脱出力を奪う」と、竹信さんは結婚が決して女性の経済力を補完するものではないと言います。
続けて、日本の女性の貧困率の高さや労働環境の男女間格差について、データを用いながら、いかに日本が女性に厳しい国であるかを説明されました。中でも「働くシングルマザーが働かないシングルマザーより貧困率が高いのはトルコと日本だけ」という事実は、大きなショックでした。日本の救済支援が生活保護しかなく、「夫と家」に頼っているセイフティネットも問題です。「夫を前提とした経済・社会システムがDVを招き、同時にDVを避けて家を出ることを阻んでいる」という現状をわたしたちは認識しなくてはなりません。
さらに1985年に制定された男女雇用機会均等法。労働の規制緩和と福祉制度の巧妙なからくりを指摘しながら、貧困を考慮しない男女平等政策の在り方を竹信さんは問います。「本当の男女平等は男性の働き方を規制しなければならない」とヨーロッパの例をあげながら、日本の働く女性の支援政策に対して厳しい目を向けます。また、女性の貧困は子どもの貧困につながり、今後増えていくであろう貧困の連鎖も問題視しています。
取材とデータに基づいて事実が裏付けされた竹信さんのお話は、現在の日本の状況を深刻に受け止め、きちんと考えなくてはならないことを、わたしたちに教えてくれました。確かに女性を巡るさまざまな問題、とくにDVに関する問題は、解決すべきことが山積みされており、ともすれば徒労感に襲われてしまうこともあります。会場の参加者の中にも「なぜ日本はこんな状況なのか」「どうすればよくなるのか」という疑問や変わらない苛立ちを抱えている人も多かったことと思います。
それでも「変わらないと思って何もしないより、何も言わないより、少しでも行動しよう、声を上げていこう」と竹信さんは力説します。DV防止法も女性たちの行動から生まれた法律です。竹信さんのエネルギッシュなエールで、会場にいるわたしたちも希望を持って進みたいと元気をいただきました。
(伊藤静香)
10月1日(土)つながれっとシアター&交流会「わたしのニキ」を開催しました。秋晴れのさわやかな日に、多くの方のご参加をいただきました。
「わたしのニキ」はフランスの女性造形作家ニキ・ド・サンファルの作品を所蔵するニキ美術館と、初代館長の増田静江さんのドキュメンタリー映画です。
年代を追って映し出されるニキの作品には、ニキの悲しみや苦悩そして自己回復、愛など、ニキの人生そのものが表現されています。また、ニキの作品と運命的な出会いをした増田さんが、どのような思いで那須にニキ美術館を建てたのか、ニキの作品やニキ本人との交流を通して、どのように心を解放し、前進するチカラを得ていったのかなどが、増田さん本人から語られています。
何か(誰か)との出会いが、その後の人生に大きな影響を与えることは、多かれ少なかれ、だれにでもあるものです。そんな自分への投影の思いもあってか、参加者は、食い入るように映像を見つめていました。
上映会終了後は、5〜6人のグループに分かれて、お茶をいただきながら、感想など自由に話し合っていただきました。話は最初から盛り上がり、尽きることがありませんでした。そしてニキ美術館が閉館した今、ニキの作品がどのような場所で見られるかなどの情報交換をし、交流会を終えました。
那須高原の美しい景色、風の音や川のせせらぎ、新緑や四季の花々など、自然の姿に癒され、ニキの作品にふれて芸術の秋を満喫し、増田さんの物語を聴いて、自分の人生とゆっくりと向き合うことのできた充実した1日でした。
(高島由美子)
私ごのみのアートかどうかは別として、ニキの作品たちはなぜだか、どうしようもなく、私を引きつけてしまいました。おそらく、増田静江さんが最初にニキの版画を見た時に受けた衝撃もこのような感じではなかったか、と思います。何とも言えないこの魅力とパワーはどこから来るのでしょう。
抱えていた問題や葛藤が重いほど、それを克服するためのエネルギーは大きくなり、それがニキの作品を通して私たちの心に響いてくるのかもしれない・・・。ニキが抱えていたものの重さをこの映画でほんの少しだけ知っただけですが、そんな風に思えました。そして、ニキが感じた不条理や問題は、大なり小なり女性たちが感じている問題に共通しているのかもしれません。だからこそ、ニキの作品に引きつけられずにはいられないのかも。
ニキと増田静江さんの関係も、なんだかとっても素敵でした。「前世ではきょうだいだったのかもね。」というニキに、「いや、私は裁判官で魔女だったあなたを火あぶりにしたのよ。」という増田さん。「そういわれてみれば、私は火あぶりのような感覚がずっとあったわ。」というニキ。なんて率直でユーモアあふれる会話ができる二人なんでしょう。ニキの人間的な魅力もさることながら、増田静江さんはとても斬新で進歩的な女性だと思います。「自分の給料は全部、自分で使いたいよ」と夫に言われ、「それもそうだろうなぁ。」と思い
以後、夫が定年で退職するまで夫の給料はもらわず自分で働いた、なんて・・・かっこよすぎます!
私が気になったのは【日曜日の散歩】という作品。『貪る母シリーズ』の中の作品だそうです。「生活力のある夫との生活に安住して、体や顔がくずれちゃっている。」という解説にドキっとさせられました。自戒の念もこめて、記憶に刻み込んでおかなくては・・・。
那須にあるニキ美術館のまわりの、四季おりおり風景がほっと息抜きになって、これもまた良い映像効果でした。ニキ美術館が閉館してしまって、本当に残念です。というか、開館当時、ニキのこともニキ美術館のことも知らなかった、自分の情報アンテナの低さが残念でなりません。今、ニキの作品に出逢える瀬戸内海の直島やイタリア・トスカーナ地方野外彫刻庭園「タロットガーデン」にいつの日か行ってみたいです。「私のやりたいことリスト」にひとつ、項目が増えました。これからの人生に楽しみが増えるってうれしいですね。
つながれっとシアターで「わたしのニキ」を見て、いろんなことに気づかされ、素敵な女性たちの生き方に触れることができ、これからの人生の楽しみもひとつ増やすことができて、本当によかったです。いろんな「出会い」の機会を、どうもありがとうございました。
(松口かおり)